行政:福島県北塩原村 標高:890m・860m
1/25000地形図:桧原湖(福島14号‐4)調査:1995年11月


 米沢街道はその名が示す通り山形県米沢市に端を発する旧街道である。江戸時代に米沢藩の参勤交代道として使われ、また米所山形の米が運ばれた道でもあった。米沢より南下して桧原峠を越え、桧原湖北岸の桧原から南西へ。ここで報告しようとする蘭峠(あららぎとうげ)、大塩峠(萱峠)を越えて大塩に至り、喜多方へ抜ける道がこの街道の部分に相当する。このうち報告者が通ったのは喜多方から桧原までの区間である。

 調査は95年秋で、当時はまだ地図といえば「ツーリングマップ」という時代であった。もちろん報告者もこの地図を持って走ったのであるが、ちょうどこの区間は東北ツーリングマップと関東ツーリングマップ(以下それぞれ東北TM、関東TM)の2つにまたがって掲載されていた。この2つを用いて走ったが、手元にあったツーリングマップはそれぞれ発行年が大きく異なっていたために、「2つの地図で違う道」になっていたのであった。おかげで非常に心細い思いをしたものであった。

 関東TMでは大塩の「大塩裏磐梯温泉」からほぼ正確に北東方向へ点線道が伸びており、これに旧米沢街道とある(P126、127)。点線道は小塩川上流の中ノ七里まで続き、それ以降蘭峠を経て桧原まで白道である。一方東北TMにはこの道がなく、もっと下流の大塩・川前から山中に入り、北へ回り込んでから高曾根林道という林道で中ノ七里へと続く。高曾根林道は実線道表記である(P35)。もちろんこの齟齬には出発前から気付いていて、5万分の1地形図も持参したのであるが、ここでもまたミスをしてしまい混乱をひどくした。問題の部分は熱塩(新潟2号)と吾妻山(福島14号)にまたがっており、熱塩は一部分だけであったので図書館の地形図コピーを用意。吾妻山は全面を使用するため新しいものを購入してきたのであるが、当然これらは修正年が異なる。出発したあとに気付いたことであるが、この2つの地図を突き合わせてみると

このようになるのである。

 それでも筆者らは大塩温泉からの道を選んだ。関東TMの道を信じたのである。結果としては抜けられたのだが、本当にこれで合ってるのか?!というような道であってヒヤヒヤしたのを覚えている。もうずいぶんと記憶が薄れてしまって、正確な状況は忘れてしまったが、ひざくらいまであるような深い草に蔽われた林道で、石もゴロゴロしており、廃道といっても過言ではない道であった。班員のT氏が岩にライトをぶつけて破損したのもこの道である。時間的にはさほど苦しまなかったが、上部の林道に合流した時にはさすがにほっとしたのを覚えている。

 さて、この林道は地道であった。これが高曾根林道だと思い、東へ向かう。地形図によればここから中ノ七里までの区間に一つ峠があり、これが大塩峠であるはずであった。だから現れたピークが大塩峠だと思い、ここで記念撮影をして、下る。下りついたところは「舗装」であった。…??? 
 この舗装(分岐)は確か右手から登ってきて左手へ行くものであった。てっきり細野峠への車道へ戻ってしまったのだろうと思った。となると今までの行程は無駄足だということだ。班員に詫びながら「細野峠まで自由ラン」をかける。が、その自由ランで着いたところは「萱峠」であった………??????
 看板によれば「萱峠 (別名大塩峠)」だという。ということはこの舗装が米沢街道であって、一応は正しい道を通ってきたということになる。看板にはこれ以外にも米沢街道筋に残る史跡について触れていたが、ここまでの行程で頭が混乱していて記憶は定かではない。


 あとは下って中ノ七里へ。中ノ七里には民家も何もなかったように記憶しているが、あるいは記憶違いかも知れぬ。いかにも山中の宿里らしい名前である。蘭峠への登りは、この時には舗装工事中であった。今ごろはすでに全舗装となっているであろう。最後のつづら折れを越えた我々を待っていたものは、どんよりと灰色に曇った東の空であった。この日は桧原の旅館に泊まったのであったが、翌日は見事に「初雪」であった。あの峠を越えて「冬」に入った訳である。私としてはそのことも印象深い。


 

 

 

(翌日の桧原湖沿岸)



 

 

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