古 | 坂 | | | 行政:兵庫県篠山市 | 標高:410m |
峠 | ■ | | | 1/25000地形図:福住(京都及大阪10号‐4) | 調査:2000年7月 |
何ということだろうか.今はただ,そう言うしかない. 古坂峠は篠山市の南,我々がホームグラウンドとして親しんだ北摂の端にある.現在はその下に城東トンネルがあり,その旧道としてこの古坂峠は存在する.トンネルの開通によって旧道に”昇格”した峠としては,山と高原の地図「北摂の山々」にある50幾つの峠中で唯一のものである. そして,初代旧道倶樂部ウェアのデザインでもある.一代目のデザインとして採用された(というよりも報告者である私が独断で決定したのであるが)理由は,阪大から近いということだけではなかった.この旧道倶樂部の創始者であるS氏が,94年にここへ通い詰め,鉈と鎌で道を切り開き,看板を設置したという経緯に敬意を表してのことであった.それほどまでにこの峠は廃道化していたのである.少なくとも,97年までは. 城東トンネルの完成は昭和40年代の末である.銀輪'78.5の「北摂」には当時の様子がこのように記されている. 「峠の下に城東トンネルが完成してからは廃道になっている.一部,荒れていて押し担ぎが必要.旧道にはトンネルと違う楽しさがある.」 実はこの峠,かつては”四十九峠”という名前であった.98年度の旧道倶樂部ウェアについてメーリングリストでやりとりした際に,OUCC草創期のOBの方に伺った話では,その方が保管されていた昭和43年発行の5万分「園部」では「四十九峠」で出ているとのこと.その後,昭和48年(昭和46年改測)の2.5万分「福住」には代りに古坂峠と城東トンネルが掲載されている.『四十九』という数字から,あるいはトンネル開通に合わせてそう改名したのかとも思ったのだが、開通年度とそれは相反している.そうではなく、トンネルが完成して『古い坂』になったのだ. この報告書の提出者である私は、1997年にこの峠を初めて訪れた.南側、後川からの登りであった.トンネルを抜ける新道は意外に傾斜が厳しい.城東トンネルまでの谷の登りに勝てず、車道が一度大きなS字を描いて高度を稼いでいるのがそのよい証拠だ. S字を登り切って一段上がれば、あとはそのまま峠まで.旧道への分岐はこのあたりにある.左手に見える看板がその目印であり、車の入っていない、草蒸した轍を追えば、城東トンネルの向う側までそのような道であった.ここでわざわざ「あった」という過去形を使うのには訳がある.
こういう場合、通るスペースが全くないか、逆にどれもが道に見えてうろたえてしまう.しかしながらその時は、明らかに「一つの道」が見えた.そこだけは倒木が除かれ、薄も茂り具合いが薄い.これがS氏の作った道なのだろうかと思いながら、その先を押し進める.道が後川寄りに出てきたときも、そこもやはり薄の海であったのだが、カーブの外寄りに「道」は続いていた.そうして再び倒木のなかへ.それでもこの「道」のおかげで歩みは軽い.
峠は一変して空間であった.じめじめとした湿地のような地面がそうさせるのか、それまでの倒木が嘘のように消え、見通しは良い.代りに切り通しの両側から枯木が手を広げ、まるで蜘蛛の巣のような光景だ.
市街への下りは、しかし、なかなか難儀させられる道であった.崩れた道の上に薄が勢い良く茂ってい、道のかけらしか存在しなかった.2度、3度とターンを繰り返し、高度を下げるが、それに反比例して障害物は増える.沢に流された道.ぬかるむ足元.薄に隠れるようにして倒れている枯木.トンネルのすぐ脇に出てくる道は、車道からふり返ってもそれが道とは思えない”叢”でしかなかった. その次に登ったのは、同じ旧道倶樂部員であるA氏の報告を受けてのちであった.A氏が見せてくれた写真は、自分の記憶とは全く異なる道が写っている.倒木もなければ薄もない.これが古坂峠であるはずはないという私に見せてくれたのはあの看板の写真であった.間違い無く古坂峠の看板だ.否定材料を失った私は自分で現実を確かめるしかなかった. 98年の春.前回と同じ道順で登った峠は、やはりA氏の写真の通りであった.目の前にあるのはただの林道だ.路面に芝生の高さで生える短い雑草が、この改修が新しいことを教えてくれる.落ちていたガードレールも、薄の海も、枯木も姿を消していた.狐につままれるというレトリックはこういうことを表わすのだろう、と思いながら登る.幸いに、といっていいかわからないが、峠そのものは昔と変わらなかった.あの看板も.ほっとしながら峠北で休む.その向うも50mほど見通せる.全面的な改修なのかとも思ったが、その向うはやはり薄で視界は遮られていた. 思い返せばこの時なぜ看板を回収しなかったのであろうか.頭はこの改修の意味を探って動くばかりで、その続きに至らなかったのが悔やまれる.旧道に再び手が加えられた事例は聞いたことが無い.新しい報告を書かなければ.そんなことしか考えられなかったのだ.
そう思いながら、なかなか手がつけられずにいた私に追い打ちをかけたのも、やはり同じ旧道倶樂部員であるT氏からの報告であった.今度はあの看板が無くなったというのだ.つい最近登ったところ、電線を通すために峠の両側に工事基地を建設していたといい、そのせいであろうか、何も見つけることができなかったという.失礼な話だが、私はまだ信じられない.否、信じたくない.そうして今日も、また古坂峠に向かえないでいる. |
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