|行政:北海道大成町〜北檜山町標高:220m
|1/25000地形図:左股(久遠3号‐1)調査:1999年8月


 久遠から北檜山、瀬棚に越える、標高わずか157mの峠。現在はトンネルができてさらに楽になっている。ここに取り上げられていることからもわかるように、旧道が現存するものの、彼はもう満身創痍である。

 旧道は臼別温泉への道との途中で分岐する。入り口には古い国道の看板があったりして趣深いが、旧道の半ばにある資材置場へトラックが行き来しているので、少々肩身の狭い思いをせなばならない。そのまえに忘れてならないのが、この分岐にある菅江真澄の句碑の存在であろう。知る人ぞ知る白井翁の足跡はこんなところにも残っているのである。

   お
   く
ひ  山
び  の
き  お
そ  ど
へ  ろ
た  が
る  も
鵺  と
ど  の
り  滝
の  ま
こ  く
ゑ  ら

 

 彼は寛政元年の旧四月末から五月にかけてここ久遠に滞在し、太田山に登ったりなどしている( 菅江真澄遊覧記「えみしのさへき」)。ついでに言えば翁はその後日、(松前に戻ってから)日本海岸を通って虻田まで行き、有珠山に登っている。礼文華の嶮も越えたのであろうかと思ったのだが、さすがにあのあたりは船で海上を行ったようだ。


 さて、この峠の旧道はダンプが行きかう狭めの1.5車線砂利道。資材置場のむこうで、道はいったん√229と合流する。旧道はまだまだ続きがあり、ここから先は車の入った形跡がほとんどない1車線道となる。報告者の訪れた1999年には、つい数日前にこうなったと思われる崩落―――しかも道が崩れ落ちるタイプの―――があり、少々ひやりとさせられた。かなりcriticalなものであったので、恐らく数年で廃道となってしまうであろう。峠には距離標識や小さな町名看板の類しかないが、錆びた看板がぷらんと下がった光景には何か感じさせるものがある。北側はすぐに現国道と合流。現国道の下りは、静橋のあたりまではすんなり下れるものの、そのあとは執拗にアップダウンする。標高が低いため、仕方がないと言えば仕方がない。

 峠の北側には太櫓川という川がある。これが峠名の由来であろう。河川名看板の解説によれば、元の名は「ビトロ」で、bitu-oro(-pet)(小石の・ある(・川))の義。鯡漁に使う網の小石が豊富にあったからだそうだ。単純に考えればそこへ越えるから太櫓越で、のちに誤って「峠」をつけたものと思われる。深く考えれば矢越の「越」と同じく、「通っていく」の意味のkeshなのかも知れない。


 

 

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