|行政:京都市山科区〜東山区標高:140m
|1/25000地形図:京都東南部(京都及大阪3号-3)調査:2005年3月


■背景 Background

 花山洞は国道1号の上で余生を送る老隧道である.竣工は明治38年.ここで紹介するには忍びない位に,酷い仕打ちを受けている隧道である.

■調査 Experiment

 報告者は山科区の側から登った.地図によれば隧道は国道1号の登り車線の側にある.律義に国道1号をたどって」しまった報告者は,狭い歩道を対行車に恐れをなしながら登るはめになった.国道に沿わずに山科の中心部から直接向かう道を取ったほうが良かったようだ.

 

 

 

 現国道の東山トンネルが見える頃に歩道は無くなって,かわりに右手の建物の裏を通る車道が現れる.ちょっとだけ国道に再接近して,残りは旧隧道まで一本道だ.右手には小さな沢が流れをなしている.切り石の護岸も作られていたりして,遮る緑色の金網さえなければなかなか風情がある道だ.

 隧道へは50mほどで到着する.しかしながら,あまり期待してゆくと拍子抜けするかも知れない.あるいは報告者のように,拍子抜けを通り越して怒りすら覚えるかも知れぬ.
 

 東側ポータルは改修されている.否,はっきり言おう.改悪されている.煉瓦に似せたタイルで壁面を覆っているのはまだいい.そのタイルが当時の組み方を再現していないことも,まあ許す.問題は,ポータルの構造を全く無視した偽のアーチ環だ.
 「花山洞」と彫られた扁額の下,要石だけが浮いている.その下───そう,下だ───に作られた偽のアーチ.明らかにこのアーチは元の場所を示していない.しかもタイルの描くアーチの中心は,要石から大きく外れた位置にある.側壁の石組とも齟齬している.ただ単に,アーチ型に並べたタイルをあてがっただけだ.何ともはや,である.
 恐らくタイルで修景される以前に,坑道はコンクリートで厚く巻き立て補修されていたのだろう.その巻き立てのアーチの縁が,この偽煉瓦のアーチであるらしい.


 この姿から元々の姿を想像するのは難しい.ただ帯石笠石と,笠石下の2列の煉瓦は当時のもののようだ.右端が片流れ風に少し下がっていて,左右非対照のポータルであったことはわかる.右側に回り込んでみると,笠石の裏側に古い煉瓦が顔を覗かせていた(右写真,中央の木の後ろ).恐らく山水を逃すための樋だったのだろう.

 坑道内部は,東側坑口付近がぶ厚いコンクリートで巻き直されている.以降西口までもモルタル吹き付けで原型を留めていない.総煉瓦巻きだったのか,内部に素掘り部分があったのかさえ解らない状態である.
 

 

 

 唯一の慰めは,西口ポータルが比較的よく残っていることだ.五重の煉瓦で縁取られたアーチ環───アーチ環が五列もある道路用隧道は,福岡の欅坂隧道と金辺隧道位しか知らない───にフランス積みのスパンドレル.帯石要石が横一直線に伸びていて,独特な形状だった東口よりは基本に忠実だ.扁額も残っているが,「方机適川」?.机が川に適しているとは,ちょっと謎掛けのような一文である(本当にこの四文字なのか心許なくなる).

 

 

 

 

 

 

 道はすぐに国道と接し,また離れて右手へ落ちて行く.道路の脇には近代的な住宅.かつてはここを野次さん喜多さんよろしくわらじ履きの旅人達が行き来したであろう.その道に隧道ができ,荷車や自動車が行き来し始めた明治の終わり.そして東山トンネルができるまでの往来.車公害.わずかな時間ながら,沢山のことが連想された.花山洞はそのすべてを呑み込んで,黙って建っている.もし彼に言葉があったら,どんなにか価値のある記憶を語ってくれただろう.それが叶わないから現物から読み取るしかないというのに,あの通りだ.思慮のない改修が余計に腹立たしく思われた3月の夕まぐれであった.


 

 

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