■再訪 Revisit

 この年の11月にもう一度訪問する機会があった.細川側から登っている.

 2月に通った時はもっと荒れていたように記憶する細川側の峠道.きれいに整備されていた.前回はスルーした看板もこの時撮っている.橋本市教育委員会の表記に倣って「柱本の手堀り隧道」と呼んでいる報告者だが,考えてみればそれでは細川集落の立場が抜け落ちてしまう(柱本に隧道の由来が伝わっていないということは細川側が大きく与した可能性もある).やはり細川柱本隧道とでも呼ぶべきなのだろうか,と思いつつ,すでに前記名称で申請し近代土木遺産に登録されてしまっているから,主張の本人として使い続けていくべきだろうと思う.ただ,少なくとも落書きの主ほど積極的な主張をしようとは思わない.

 柱本側のポータル上の擁壁に長ノミの跡を見つけた.やはり火薬が使用されたようだ.江戸期の石工のような手堀りであったら鏨割り楔割りの短い櫛形が残るはずである.

 この日は隧道上の旧峠にも登った.解りやすいのは柱本側の坑口右手を登ってゆくことだ.傾斜はきついがすぐに踏み跡が現れて,浅い掘り割りになった峠に至る.峠は隧道のやや西寄りにあるように思われた.この辺りに旗を立て,それにめがけて掘っていけば,確かに現在の姿のようなくの字の坑道になるだろう.

 峠から柱本へはやや不明瞭.坑口上でわずかにつづらを折って,坑口向かって左に出てきたように記憶する.しかし坑口付近の植生が濃く,正しい道筋であったかどうか(それ以前に向かって左に出てきたかどうかも)覚束ない.少なくとも隧道が欲しくなるような険しさであったことだけは間違いない.


 

 

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