八草峠(2)/峠〜岐阜県坂内村
報告者はこの峠からの美濃側の眺めが好きだ.わずかずつ濃度を変えながら,山並みがどこまでも続いている.東に越える時は行く手に待っている道を想像し,その果てし無さに胸を打たれた.僻地に赴任する公務員が,あまりの道の険しさに辞職を決めたという「辞職峠」の由来をいつも思い出す.西に越える時は安堵を感じながらも,辿ることのなかった山のひだの一つひとつが名残り惜しくなる.あの谷はどんな谷だったんだろう.どんな家が建っていて,どんな生活があるのだろう.そしてその奥には,どんな峠があるのだろう,と.
峠のお地蔵様のもう一段上には,「チャレンジ・ザ・八草記念」「八草峠まつり記念」などと書かれた木柱が添えられた植樹がある.地元の小学校の行事であったらしいが,96年頃を最後に新しい碑は増えていない.年を追うごとに朽ちて行く木柱が哀れだが,一方の植樹が元気に成長していることを嘉とすれば充分であろう.
![]() ![]() 岐阜側の道も,同じように1〜1.5車線のワインディングがトンネル口まで続く.開け具合いはこちらの方が勝っているので,登りで眺めを楽しみたいところだ.トンネルの岐阜側出口を右すれば,坂内川に沿ったブナ林の道.進むほどに左手が開けてきて,カーブの先に青空と対岸の山がありありと迫ってくる.その眺めに吸い込まれてしまいそうだ.その一方,谷の奥では,風化の進むアスファルトを苔が覆いつつある.
車道以前の八草峠は,現在の位置から4kmほど北にあった.滋賀側は登谷がその峠道に当り,登谷を奥まで詰めて,尾根に上がり,土蔵岳の南側を越えるというルートであった.藩政時代には公道として用いられ,近江藩主が手づから植えたという松がそびえていた.伏木貞三の「近江の峠」によれば,この松は車道の開通後まもなく枯れてしまったという.「自分の役目が終わったのを悟ったんじゃろうなあ」と語ったという地元人の話が印象的だ.二代目が植えられたとこの本には記しているが,ナカニシヤ出版の「近江の山旅」土蔵岳の項を立ち読んだ範囲の知識で言えば,今はそれも伐裁されて無くなってしまったようだ.
■参考文献 References
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