■考察 Discussion
現地に赴く前に,丹波市丹南支所の教育委員会にこの隧道のことを伺った.そうして,役場のある方が残したという手書きの資料を頂いた.ごく短いものだが,今現在で最も信憑性が高くまた具体的な資料はこれしかない.そして,これで全てのような気がする.
小野尻隧道の上を越えていた小野尻峠は,西国の大名が京都守護職へ参勤するために使われていた道だった,とメモは教えてくれる.播磨と丹波京都をつなぐ公道だった訳である.その重要性からも隧道建設は自然な流れであったと言える.
隧道工事の着工は明治40年.竣工は明治42年7月という.工事費58000円.巾2間5分,長120間であることははすでに「調査」で記した通り.同年7月6日の開通記念式典には,当時の兵庫県知事・服部一三も参列して盛大に行なわれた.その頃はまだ原野でしかなかった中町牧野に,テントが張られ,万国旗がはためき,和田・鍛冶屋の小学校の子ども達が小旗を持って「祝」の人文字を作り完成を喜んだという.その牧野も今は昔,田畑の広がる開闢の地となって今日に至っている.
長閑な田園風景を見ながら,真新しい煉瓦に堂々たる石組みの小野尻隧道,それを誇り祝う村人達の姿を想像してみた.時代の移り変わりというものは,どんなに人々の心を沸き立たせた一大事業であっても「歴史の一ページ」にしてしまう.否,小野尻隧道の場合はページに刻まれてさえいない.酷なようでもあるし,そうでもしなければ次の歴史を生み出す場所が足りなくなってしまうようにも思う.我々はただ移り変わりの一期間を見,それを自らの脳裏に刻めばそれでいいのかも知れない.
このメモを残した役場職員氏は,合併して山南町ができる以前の和田村時代からの方だという.仕事の傍ら町の歴史を調べ,退職後も町内に残る戦国時代の山城跡・岩尾城跡の調査もしていたとか.その方も,今はもうこの世にないと聞く.本報告書は,拙いながら,この方に捧げてみたい.
■参考文献 References
■謝辞 Acknowledgement
このメモを快く提供して下さった山南支所地域振興課の方に感謝.
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