|行政:愛媛県梼原町標高:560m
|1/25000地形図:梼原(松山4号‐2)調査:1998年3月


 この大越峠も梼原町の中にあり、あるいは脱藩志士が行き交った峠なのかも知れない。宮野々の関所と梼原中心部を最短距離でつなぐ道である。下部を通るトンネルも新しくなって「維新トンネル」と命名されているが、そのかわり旧トンネルと旧道は5万図から抹消されている。

 旺文社の中国・四国ツーリングマップルでいうならば、上記の区間に白道が掲載されているはずである。このピークにあるトンネルが維新トンネルであり、宮野々から向かって右手に旧トンネルがある。とはいうものの、この旧トンネルは農協の椎茸栽培のために使用されており、通行することはできない。「トンネルを保菌場にする」というのはなかなか良いアイデアだと思うのだが如何。

 それより以前の道、すなわちここで言おうとする旧道は、谷を挟んで反対側の、トンネル左手にある材木置場の奥からつながっている。私はそうとは知らずに反対側から登り、知らずにここへ下ってきて恥ずかしい思いをした。本来は回り道があるのかも知れぬが、わかりやすいのはこの集積場を突っ切って抜けることである。西側の旧道は往時そのままの道で、草が繁ることもなく、倒木に悩まされることもない、それでいて人工物が───道以外には───一切ない、味わいのある道である。草茫々になる寸前の雰囲気、とでも言おうか。ともかくも独特の雰囲気を有した道である。


 そのかわり、峠と峠より梼原側は工事中であった。トンネルのあたりからも工事のプレハブ事務所が見えており、これがまさしく峠の目印。報告者が訪れた98年3月の時点では、東側は泥々べちゃべちゃの道であった。この工事は東側斜面に林道を建設するためのものであるようだ。法面工事も行なっており、かなりの大掛かり工事であった。東側の入り口はトンネルに向かって左手。トンネル口のすぐの所から分岐している。


 

 

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