明治17年に地元の熱望で建設が決定,その後東海道の天井川隧道群とともに施工された(当初は中山道の隧道だったが完成後に東海道もこの隧道を抜けるよう変更されている).工学会誌明治19年3月号に竣工報告があり,その中で藤田組が施工した旨が記されている.現在はボックスカルバート化され扁額のみ残っている. EOP; include("./template.php") ?>