|行政:福島県南会津郡田島町〜栃木県塩谷郡藤原町標高:910m
|1/25000地形図:荒海山(日光6号-2)調査:2002年8月


 古くから会津と関東とを結ぶ路として利用され、江戸時代には会津西街道(南山通り)として整備された山王峠。会津藩の廻米を運ぶ路として、また巡見使の通る路として栄えたが、万治二年(一六五九)の大地震による山王峠の崩壊、天和三年(一六八九)の日光大地震による山崩れなど、災害を多く被っている道である。特に後者の地震では山崩れで谷が塞がり、新たな湖・五十里湖ができてしまったことが原因で会津中街道・大峠が新たに開かれている。さらに言えば明治期に、会津三方道路の南方を担う道として改修され、高橋由一描くところの「三県道路完成記念帖」に収録されるも、その今日は山王トンネルの開通によって再び静寂の中にあるうえ、廃道化が着実に進行しつつある。そうして、この旧道倶樂部活動報告書に取り上げられる羽目になった訳である。何とも浮沈の激しい峠である。


 福島側の旧道入口は看板があるので解りやすい。何と言っても建設省の青看板で「→旧道」なのだから間違いようがないだろう。こんな青看板は日本広しと言えどもそうそうないのではないか。少なくとも報告者は初見であった。

 

 

 

 

 小さな橋で山王川を渡る。はじめの方は写真のように何でもない車道だが、先に進むにつれて比例的に廃道化していく。もともと狭い二車線舗装の両脇から、あらゆる草木が被さるように茂ってきてさらに狭くなり、しまいには一車線幅になってしまう。舗装車道の旧道━━━しかも2車線━━━でここまで廃道化しているところもまたそうそうないだろう。そんな自然の猛威の下、カーブが多くてスピードが出せないのをわずかでも改善しようとしていたらしい大きなバンクがまたけなげである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 小さなカーブを何度も繰り返していくうち、地図でも一際目立つヘアピンカーブの奥で、コンクリート吹きつけの法面が割れ、崩落を起こしていた。道の上にできた50cm〜1mほどの瓦礫の山は、たといここまで来れた車だとしても引き返さざるを得ないCriticalなものであろう。無論、自転車にとっては何ら問題のないものである。


 これを越えればすぐに峠。高橋由一の描いた山王峠とは似ても似付かぬ、地形と道形以外に項約数を持たない姿となっている。この峠の切り通しもやはり崩壊が進んでおり、落石防止の金網がはち切れんばかりに膨らんでいたのが印象的であった。


 

 

 

 

 

 この峠で最も新しいものは、「国土交通省」が更新した水準点看板だ。その奥にある古い距離看板といい対照を成している。峠にはこの他、「ようこそ◯◯町へ」的な看板や山火事注意の看板などが残っていた(ように記憶している)が、いずれも年代がかった味のあるものであった。

 

 

 


 峠のすぐ南側には道を塞ぐ形で木が倒れている。最終的にこの道は山王トンネル手前のパーキングの裏手に出てくるが、そこへ至るまでにも小崩落が2か所ほど。これからさらに廃道化していくことであろう。


 

 

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