|行政:北海道津別町〜阿寒町標高:610m
1/25000地形図:阿寒湖(斜里16号-3)調査:1999年8月


『開拓記念碑
富松氏北海道開拓に志し明治四十五年五月秋田団体を組織 樹木鬱蒼千古不伐のこの地に移住 以来一致協力専心開拓に当ると共に 大正三年道路の開設 同五年北秋田団体乃入地 同六年小学校開校 同十三年釧北國境に至る道路竣工 同十四年相生線鉄道の開通等 教育の振興産業交通の発展を見るに至れり 今創業時代先人の熱烈なる開拓精神に憶を馳せその事蹟を囘顧し 茲に開基四十年を迎ふるに当り先住者の銘を刻志血と汗の辛苦に深く感謝を捧げこの碑を建て其の功績を永久に記念す 農林大臣 松本龍太郎 書』

 釧北峠の麓、津別町相生の集落にある小さな神社。その境内に、上の石碑はある。ここでいう『釧北國境に至る道路』が旧釧北峠、現在の国道240号旧道である。

 位置的には現釧北峠の東約3kmのあたりにあり、より阿寒湖寄りになっている。足寄へ抜ける国道241号が  年に完成していることを考えると、より妥当な道の付け方と云えよう。(この道は旧北海道ツーリングマップには載っていたものの、新ツーリングマップルでは消えている)

 登りに適しているのは北側。国道240号のわきにある小さな距離看板で、73.5kmから73kmの間(釧路を起点としているので登りの時には道路の反対側にある)のあたりで分岐する道が旧峠道である。また、ここには北海道電力の「釧北51線」看板があり、この小さなオレンジ色を目印にしてもよい。1車線の、白っぽい小さな砂利道である。

 道は全体的になだらかな作りとなっている。慌てなければそう辛い登りではない。終始森の中で展望はないが、報告者が訪れた8月中旬には、道端に紫のりんどうがポツポツと咲いていて趣があった。枝林道(もどき)が多くて惑わされるが、本道の砂利道の白をずっと追いかけていれば大丈夫である。


 峠は鞍部というよりもむしろ肩とか丘といった表現がしっくりくるような地形。いわゆる峠特有の閉塞感は感じられない。肩の下がっている東の方向と越えようとする阿寒側が、とど松やダケカンバの薄い林を残して伐採されており、そのせいで明るい雰囲気の峠であった。西側は対照的に鬱蒼とした森。恐らくかつては釧北峠と記していたであろう、片面が削られた木柱が寂しげに傾いているだけの、静かな静かな峠であった。




 阿寒湖への下りはつづら折れで、まともに道が残っている箇所がないほどに(沢状に)荒れている。ここを登るのは雨後の五月山裏ダートを荷物つきで登るよりはるかに体力を要するであろう。下りももちろん気を付けないと、深さ30cmの自然の側溝にはまってしまうと目も当てられない(写真はそんな中でわずかに残っていたまともな部分)。

 打ち捨てられたような道ではあったが、このカルデラ側の下りでは、送電線の通っているあたりで阿寒湖が一望できる。電線が少々邪魔ではあるが(といってもこの送電線のおかげで伐採されているのだが)、現国道からは恐らくこれほどの展望はないはず。最終的にこの道は、国道から阿寒湖北岸へ伸びる白線道に出てくる。

 もう一つ、下りの途中に一個所だけ看板がある。営林署の建てたその看板には、この旧釧北峠が旧でなかった頃の地図が載っている。ただし、「設置 明治45年」というのは、恐らく何かの間違いであろう。


 

 

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