|行政:鳥取県日野郡日野町〜岡山県新庄村標高:770m
1/25000地形図:美作新庄(高梁5号-4)調査:1997年8月/2004年5月


 出雲街道最大の難所・四十曲峠。今回、歴史的背景はすっ飛ばして、現状の報告のみとさせていただく。何となれば、そこまで資料が揃っていないからである。日本百名峠の記述も解ったようで解らないものだし、そもそも峠の現状に触れられていないしで参考にならない。むしろweb上で多くの方々が出雲街道を取り上げており、歴史的背景はそちらを参照した方が良いだろう。・・・などと言って逃げておく。


 

 本報告は、とりあえず、四十曲トンネルの新庄側出口から始めてみたい。新旧車道の合流はこのトンネル口より50mほど下になるが、トンネル出口の脇に旧道とつながる歩道があるため、日野町の側から登って来た場合はこちらを利用するとよい。細かいことではあるが、報告者がこれを発見し損なって少々悲しい思いをしたため特記しておくものである。

 旧道はさらに勾配を上げてかけあがっていく。峠への分岐はこの舗装旧道を登り切った地点なので、何も考えずに登り切ってしまおう。ピークから左手に分岐する地道は、時期によって普通の林道に見えたり草呆々になっていたり、はたまた不法投棄で埋まっていたりするかも知れない。いずれにせよ、その道の地面はひどくぬかるんでいるのは間違いない。これが峠への最後の分岐である。


 分岐してすぐ右手にカーブ。正面に大きな切通が見え、あたかも峠であるかのような錯覚を抱かせるがこれは別物。あえていえば戸島川と二ツ橋川の分水界であり、中央分水界・四十曲峠はまだ先だ。この時点ですでに廃道気味であり、ちょうどこのピークのあたりの崖が土砂崩れを起こして道を塞いでいたり、その上に木が茂っていたり、その向こうに沼のような水溜りが控えていたりする。


 このピークの向こうで、道は再び緩やかに左手に曲る。正面〜右手には落ち込んで行く山の斜面、左手にはやや平坦な杉林とそれに続く沼。そして杉林の中には「栄野種吉塚」と彫られた石碑が一つ忘れ去られて立っている。右側に明治四十年の銘があり、碑の正面右上にも文字が刻まれているが、後者は建之の人物名であるようだ。いくつか資料にあたってみたが、「栄野種吉」なる人物やこの碑の由来は不明のままである。

 

 

 

 左手に池を見ながら、盛土状になった道を進む。以前訪れた時にはなかったように記憶しているが、2004年の時点ではこの区間に枝葉を茂らせたままの倒木が2〜3本あり、報告者のように荷物付きの自転車で来てしまうと難儀させられるはずである。そのうち誰かが切り崩すか、あるいは風化してしまうであろう。倒木を越えると道の轍に相当する部分に小さな沢が流れ始め、より廃道らしくなってくる。

 道は再び右手に曲る。倒木を乗り越え、茂る潅木を切り払っていけば、あとは峠まで直線だ。峠周辺は大きな切通しとなっていて、その上地面が湿地状になっている。脇の土崖からはしきりに水が染み出している。この水のおかげで峠道のこの区間だけ草木が茂っていず、特に夏草が茂る前の5月〜6月に訪れれば、ぽっかりと開けた空間に感じ入ってしまうであろう。(写真は峠から新庄側を見る)

 峠の切通しにはSUZUKIの軽自動車が1台放置されたまま。この向こうが県境、鳥取県日野町である。北側には県境碑。皇太子生誕記念に県が建てたものだ。折れ曲がってその脇に傾いでいる岡山県の看板、道を挟んで反対側に同様の恰好でたたずむ鳥取県日野町の看板と好対照を成している。
 報告者はこの後、峠のやや新庄村に下ったところで野宿した。日が暮れ出すと、そばの湿地からクルクルと可愛らしいカジカの声が響いてくる。峠の切通の一部はむき出しの赤土だったり硅藻土だったりするが、水の染み出すその崖の穴からもグワッグワッ、クルルルという音が響いていた。これも蛙かと思ったが、声の主はついぞ姿を見せず。夜の峠は日の本とはまた違う味があって良いと思う報告者であった。


 日野町側の道は再調査していない。1997年の記憶を頼りに記せば、岡山側よりも日の当たる区間が長いために夏草がよく茂っており、これに少々手古擦るかと思われる。道自体はしっかりと残っていたため、さほど問題無く辿ることができるだろう。ただし県道との合流(分岐)はy型であり、枝道そのものの体をしているため、県道側からこれを見つけるのが難儀かも知れぬ。

 

 なお、四十曲トンネルは1968年12月竣工。実に40年近い歳月が、旧道化した四十曲峠に流れている訳である。意外と云えば意外、もっと荒れていても良さそうな感がある。やはりじくじくの地質が草木の繁茂を妨げてくれる御蔭であろう。
 ついでに述べておくと、四十曲トンネルは歩道も路側帯もなく、側溝の蓋からサイドラインまでに数センチの段差と20cmばかりの空隙があるばかりである。この状態な上に新庄村側まで延々1.8kmの登りである。さらに最後のほうは天井のライトが職務放棄している。この方向に向かって自転車で通行する場合は注意されたい。



 

 

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