|行政:奈良県東吉野村〜三重県飯高町標高:890m
|1/25000地形図:高見山(伊勢14号-3)調査:2002年6月


 伊勢街道の南回りルート、紀州和歌山藩の参勤交代道としても使われた高見山越えの峠。国道166号の最難所としても世に知られた峠だが、昭和58年に完成した高見トンネルによって旧道化した。トンネルからの標高差300m弱、麓からであれば500mもの垂直距離に渡って残る東側のそれは、関西隋一の規模と言っていいだろう。


 ドライブインを兼ねた飯高町の物産直売所「山林舎」の先から旧道は開始される。最も下部にあるものはあさっての方へ行ってしまいそうなほどに新道から大きく離れるが、橋を渡って新道の側に戻ってからはこれに絡まるようにして並走を続ける。そのまま新道を辿ってもいいが、木梶集落の近辺には全編唯一の国道標識が残っているので探してみてほしい。峠直下の集落の中ほどから山に入る分岐を見逃すと、次の分岐は高見トンネル東口まで現れない。


 

 トンネルへの分岐を過ぎると、道は羊腸の様相を呈してくる。自然傾斜のかなりきつい斜面につけられた道であり、登るにしたがって木々の隙間から櫛田川の真っ直ぐ伸びる谷を見渡すことができるようになる。が、残念ながらそれ以上のものを望むことができない。森と舗装と深く切れ込んだ谷、ただそればかりしかない、と言い切ってしまうのは少し贅沢だろうか。そういう訳で峠へはさして苦労することなく至ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 飯高町の側を最大限に見渡せる峠は大きな切り通し。東側に鋭く落ち込んでいて、奈良県側の多少なだらかな地形とは好対照である。峠には休憩所と駐車スペースの他に、江戸時代の高名な国学者・本居宣長の句碑も建てられている。松坂で医業をなす傍ら国文学の研究に取り組み、「古事記伝」を著して大成した彼は、齢六十三にして紀州徳川藩に召し抱えられることとなった。その初出府の折にこの峠を越えており、心境を一つの歌に託して残している。

白雲に峯はかくれて高見山見えぬもみちの色ぞゆかしき

 「見上げるような高さの高見山の峰。今から越えようとするその峰は、私のこれからを象徴するかのように白い雲に隠されている。この先何があるのか不安はぬぐえないが、そこへ向かう道は私を誘ってやまないのだ」。素人なりに解釈するならばこんな所であろう。

 その本居大人が越えた当時の伊勢街道・高見峠の一部が、車道の峠の切り通し上に残っているのは嬉しいことだ。木桟の階段を登った先には、天照大神宮や水分神など江戸期建立の石塔が3点。街道は奈良側に向かって1kmほど残っているが、幅広のよく踏まれた山道にも、角が削れて丸くなった石からも、当時の往来の繁なりしことが窺われる。峠頂上付近は森の中であったのが、トラバース気味に尾根を辿っていくと急に篠原となり、空が開けてくる。この付近には昔山賊が出没したといい、その住み処だったという岩屋もあるとか。やがて道は急激に下り出し、大きく弧を描いて旧国道へ合流する。この地点はかつて小峠と呼ばれ、峠道のよい休憩地点になっていたようだ。

 奈良側も単調な1.5車線道。車道に限って言えば、トンネルによって節約されるエネルギーの大きさ以外に、やはり見どころのない道である。


 

 

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