|行政:兵庫県市島町標高:240m
|1/25000地形図:市島(京都及大阪13号‐2)調査:2001年8月


 篠山の北、兵庫県市島町上牧と戸平(とべら)とをつなぐ峠。短いが小粋な旧道である。

 県道ピークにあるトンネルの上牧側には公園が整備されており、旧道はこの公園の裏手からこっそりと伸びている。日の当たる入り口は草に覆われ、それをそれとして探さない限り道と気付かない体をしている。10mほど入れば、幅2m弱の地道の道。

 比較的最近まで使われていたらしく、道はよく締まっている。倒木というほどの倒木もない。はじめの折り返しには街灯が立っていたりして、旧さと新しさが混在している不思議な空間だ。その後峠まで、架線の切れた街灯がポツポツと並んでいる。


 峠直下の厳しい坂を押し上げると峠。峠にもやはり街灯が残っているが、これは唯一の金属製ポールである。1980年代の日付けが見て取れるが、下一桁の手書きは薄れてしまって判読できない。


 戸平側へもほぼ同じような道で。ただし2001年の時点では倒木が多く、気持ち良く下ることはできない。最後は簡易コンクリート舗装に土砂利が積もった道で、新道へ突っ込むようにして下っていく。新道との分岐は上牧側と同じく、道とは思えぬ道である。これも気をつけていないと見過ごすであろう。

 新道トンネルには1990年竣工というプレート。だが、これはもとあった隧道を改修した年度なのだそうである。工事の間だけ旧道を利用したのだとか(そのために新しい街灯が建っているわけである)。旧道はこの後、舗装となって戸平集落へと下っていく。

 上牧も戸平も同じ市島町だが、町境が峠でない理由はちゃんとある。人が住む以前の戸平の地は、地形の通りに天田郡細見村(現三和町)に属していた。そこへ牧村の村民が峠を越えて入り、田を開墾しはじめた。それ以来同村の枝村として氷上郡に属すようになったのである。峠から見下ろせば戸一枚ほどの小さい平地に人家が寄り添って建っている、そんな姿から「戸平」と呼ばれるようになったという(鴨庄村誌)。明治の頃には清水を利用した酒作りが行なわれ、大正に入ってからは石灰を産出している。

 大正14年に峠道が大きく改修され、昭和6年に隧道ができた。その隧道も改修を受けたことは、先に述べた通りである。


 

 

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