|行政:高知県東津野村標高:530m
|1/25000地形図:梼原(松山4号‐2)調査:1997年3月


 高知土佐から愛媛県梼原町へ向かう国道197号。維新の志士たちも行き来した由緒ある道である。もちろん今は歴とした舗装道であるが、赤土坂あり、神根越、野越の旧道ありと、当時の面影を残す道の史跡が多数存在する。これらのほとんどは道すがらに解説の看板が建てられており、ていねいに昔を語ってくれるのだが、間違いなく同じ系統の道であり、竜馬も通ったであろうある一つの峠、国道197号旧道の当別峠だけは、全く見向きもされず、誰からも相手にされていない。それは何故か。

 廃道だからである。

 

 高知県東津野村の中にあって、村を東西に分断する尾根の上に当別峠はある。現国道にはトンネルがあるので問題ではないが、問題になるのはその上部に「あった」トンネルである。古い地形図ではこの旧トンネルのあたりに『当別峠』とある。セオリーからすればその上部に峠があったのであろうが、答えから言えば、この2つは完全に融合してしまっている。トンネルはトンネルでなくなり、峰の峠もまた峠でなくなっている。トンネルが崩壊し尽くして、崩れ落ちているためである。


 この状況を確認したい向きには、西から峠にアプローチすることをお勧めする。旧道は現国道の登りのはじまるあたりからすぐに始まるが、ここから登ると道が道でないので、むしろ現国道を6割ほど登ったところから入ったほうがよい。廃屋となったバス停が左手に見えるあたりから右手に注意して登っていれば、感の鋭い人間ならば一発でそれとわかる道がある。分岐は舗装であるが、数十mも行けば、民家の軒先をかすめる小さな小さな地道となる。こういう雰囲気の道も珍しい。民家を過ぎればまだ少しは道幅が広がってくる。このあたりがもっとも往時を保っているようである。

 

 

 

 


 道は数回折り返し、やがて谷奥へ向かって進みはじめる。ああトンネルだなと思うような、そんな地形の先には、瓦礫の山である。瓦礫の山と切り立った岩崖。つまり、比較的高い位置に作られた素掘りのトンネルであったはずだが、その天井が崩壊し尽くして、尾根の部分までごっそり落ちているということだ。向うに越えるにはこの瓦礫の上を行かねばならない。



 東側の道はさらに草木が繁っていて通行困難。柳の木などが不気味に揺れている。道そのものからも木が成長しはじめていて、ちょうど自転車の幅くらいの間隔なものだから押すのも難儀だ。これほどまでに廃道となっているのは、こちらがわの入り口が新設林道によって塞がれた格好となっている(余った土砂を積んでおり、それがために道とは思えない)ためだ。そういう訳で西側アプローチのほうを勧めるのである。通り抜けようとするならば『ナタ必携』。


 

 

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