|行政:和歌山県打田町標高:470m
|1/25000地形図:岩出(和歌山11号-3)調査:2002年6月


 峠の鞍部を越える車道のわずかの部分にバイパスが作られ、旧峠として残る例は、兵庫県の若杉峠(八鹿町〜波賀町)や兵庫〜岡山県境の峰越峠(千種町〜東粟倉村)などに見られる。切り通しの掘削技術が向上したことや、交通量の増加で屈曲を緩和する必要に迫られてのことであろう。一方、ここで紹介する土仏峠は旧峠を「迂回」することで旧道化された例である。すなわち新道のほうが(わずかではあるが)距離が長くなっており、旧道とは別の鞍部を越えて行くのである。

 土仏峠は和歌山県の北端、岩出町と打田町の境近くにある。和歌山の平野部から400m近く登った山中にあり、かつて葛城山地の中にあった今畑集落と町とをつなぐ道であったという。2002年の時点で全面舗装済であり、旧峠(地形図では今もこちらが土仏峠)から200mほど西側を回り越えていく形をとっている。南側の旧峠道は消滅に近い状況で、報告者は新峠から半ば縦走する形で旧土仏峠へ向かったが、道の残っている峠北から回り込めばそんな苦労をする必要もないことを後に知った。

 北側の道は新峠から100mほど下った地点から分岐し、新峠のある谷とは別の小さな谷を登ることになる。緩やかで幅の広い、道にするにはうってつけの場所である。道の底には刈り取られた茅が敷き詰められていて視界も効き、標高400mを超える山中とは思えない雰囲気である。分岐してから5分かそこら、谷が狭まり左右から雑木が覆って来だす頃には峠に着く。峠は幅4mほどの垂直の切り通しである。南側は先に述べた通り廃道化しており、その続きがどこで現車道と交わるのかすらわからない有り様であった。峠そのものはよく保存されるという、セオリー通りの峠であるが、さすがに一部が崩壊して道を塞ぎつつある。その名前から察するに地蔵様か何かが峠にあるのではと考えていたのだが、この崩落のせいもあって思うように探すことができなかった。

 土仏峠を越える車道は土仏林道という名前の私設林道であるという。1960年代の前半に岩出町の山林組合が資本を投入して作られた(自衛隊が掘削に協力しているというのは、奇しくも若杉峠と同様である)そうだが、報告者はそれが現在の舗装車道の峠なのか、それとも旧土仏峠のことなのか判断しかねている。旧土仏峠も車が通るに充分の幅を有しているし、何よりその切り通しはかなり大がかりな土工と見て取れる。その名前の由来とともに、もう一度調べ直す必要がありそうである。


 

 

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