津坂隧道(考察-2・参考文献)


 不完全燃焼の報告者は,引続き電話による調査を続けることにした.最初に考えたのは峠麓の楊津小学校へ尋ねる事だ.完成当時の事は解らなくても,地元に住む人達の記憶から,ポータルが確実に存在した時期を特定できるのではないかと考えたのだ.電話は小学校の教頭先生が受けて下さり,結果としては詳細不明とのことだったが,猪名川町の歴史を司る「ふるさと舘」を紹介して下さった.さっそくそちらへ尋ねてみた.
 驚いたことに,先日猪名川町教育委員会へお尋ねした件はこちらへ回っていたのだ.電話に出た担当の方───名を末松さんという───自身が古文書を繰って調べて下さったのだ.そうして,公報の記述やいただいた回答の原本となる古文書を見せて頂けることになったのだった.
 奇しくも猪名川町立ふるさと舘は,隧道の南側麓である木津にある.翌週の日曜日,再び自転車で「くろまんぷ」への道を辿る.


 津坂の越える小山の麓,県道12号沿いにふるさと舘はある.慶応4年の「五傍の掲示」といった歴史的にも貴重なものから一般家庭で使われていた道具類まで,町内各地から集められた文化財が一堂に展示されていて壮観だ.最初は事務所がどこか解らずに困惑したが,この展示室の一隅がそれだったのだった.そしてそこで,末松さんにお会いする事が出来た.
 津坂隧道に関する古文書は2つ.有難いことに末松さんはその書き下し文を用意して下さったうえ,詳しく解説して下さったのである.ただただ感謝するばかりである.転載の許可をいただいたので,ここに転記してみたい.

 一つは工事の発起人である林田村の人々が,柏原の小北勝五郎という人物に対して送った證文である.写しは一部にしわが寄った状態でコピーされていたため,中央の一文に不明な文字がある.

差し入れ申す證文之事

一 林田村字津阪道路開築資無尽講掛け金預り 通證書へ貴殿周旋の名義を以て御調印頼み□(徳?)申し上げ候處、早速御承諾の上右通帳へ御調印成し下され候、□有り難く存じ奉り候 然る上は会営怠期無ク□□□相勤め申す可きは勿論、右調印の義に付后日に至り貴殿へ少しも御損難相掛け申す間敷候 后証の為会営引請人一(糸+戸)連署を以て證書差し入れ申す處依て件の如し

林田村総代
会営引請人
明治十四年五月十二日 乾 良太郎(印)
 小西新右エ門(印)
 庵原為吉(印)
 谷口七郎右エ門(印)
 脇田小平(印)
 西本源二郎(印)

柏原村
小北勝五郎殿
 小北勝五郎がどのような人物であったかは定かでない.しかし「無尽講掛ケ金預り」とあるから,無尽講の座元みたような存在であったようだ.津坂の道路を開くための資金を講から出してもらったことへのお礼と,後日になって迷惑をかけるようなことをしません,と誓った証文である.

 もう一つは,工事を請け負った側から出された証文だ.

差し入れ証券一札 証券写

一 今般当郡林田村津阪道路開鑿に付私弟福井伊之助成ル者右普請弐ケ所金額千百七拾五円三拾銭にて受負仕り候處、則ち測量帳差し出し方については貴殿御両人保証人として連印御頼みいたし候、これに頼りて早速普請着手仕リ候、然る上は普請成功の砌萬一見積り違い或いは案外の数相掛り請負金額にて足り申さざる様の儀出来仕リ候節は私等両人引き受け急度相弁へ貴殿御両所へは決して毛頭御難儀相掛け申す間敷候 後証の為差入れ申す証券依て件の如し

明治十四年
旧閏七月
川辺郡柏原村
証券差入主
岡栄造(印)
同□(郡?)同所
福井作次郎(印)
同村
 小北勝右衛門殿
 森田義右衛門殿

 福井伊之助が津坂道路の工事を1175円で請け負い,その保証人として測量帳(の提出)に印をもらったお礼.さっそく普請にとりかかったこと,万一見積もり違いや予想外の出費で請け負い金が底を尽きても自分たちで引き受け二方には迷惑をかけません,という内容である.差入主には(岡栄造と)福井作次郎とあり,本文冒頭から兄弟で引き受けた仕事のようだ.また差入先も小北勝右衛門(と森田義右衛門)であって,一つ目の古文書の名前とは異なるが,これら2つの古文書が同じ小北氏宅から提供されていることからも一族の者であることは間違い無いとのこと.  

 末松さんの解説によれば,工事を発注した林田の人々と工事を請け負った福井氏らの間の仲介役を,小北氏が担ったのではないかということだ.請け負い金がかなり安いのも小北氏の斡旋でうまく折り合いがつけられたものと見ることができる.資金が少ないんやけど,そこをなんとかならへんかなあ───と.

 2つ目の古文書にある「右普請弐ケ所」という記述も興味深い.あるいはこれは,隧道の掘削と林田側の暗渠のことを指しているのではないか.あの暗渠は普請の一つと数えても大げさではない規模のものであった.とすると,暗渠の建設は十四年,これと同じ材質の石,コンクリートが使われているポータルも当時のものと見ることができる.

 結局のところ,どうして柏原村の人物に依頼したのか,福井伊之助がどういう人物だったかについては知る術がなかった.しかしこの2つの古文書の存在は大きい.津坂隧道石ポータル=明治十四年竣工説を裏付ける材料の一つとなりそうである.

■参考文献 References

  • まんがで見る猪名川の歴史,猪名川町教育委員会,平成13年(2001)
  • 広報いながわ・平成16年12月号,猪名川町,平成16年(2004)
  • 猪名川町教育委員会,猪名川町立ふるさと舘に提供いただいた資料

■謝辞 Acknowledgement

 猪名川町立ふるさと舘の末松さんに多大なる御協力をいただいた.猪名川町教育委員会の担当者氏,大教大OBの矢野さんにも感謝.


 

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