津坂隧道(考察-2・参考文献)
不完全燃焼の報告者は,引続き電話による調査を続けることにした.最初に考えたのは峠麓の楊津小学校へ尋ねる事だ.完成当時の事は解らなくても,地元に住む人達の記憶から,ポータルが確実に存在した時期を特定できるのではないかと考えたのだ.電話は小学校の教頭先生が受けて下さり,結果としては詳細不明とのことだったが,猪名川町の歴史を司る「ふるさと舘」を紹介して下さった.さっそくそちらへ尋ねてみた.
津坂の越える小山の麓,県道12号沿いにふるさと舘はある.慶応4年の「五傍の掲示」といった歴史的にも貴重なものから一般家庭で使われていた道具類まで,町内各地から集められた文化財が一堂に展示されていて壮観だ.最初は事務所がどこか解らずに困惑したが,この展示室の一隅がそれだったのだった.そしてそこで,末松さんにお会いする事が出来た. 一つは工事の発起人である林田村の人々が,柏原の小北勝五郎という人物に対して送った證文である.写しは一部にしわが寄った状態でコピーされていたため,中央の一文に不明な文字がある. 差し入れ申す證文之事小北勝五郎がどのような人物であったかは定かでない.しかし「無尽講掛ケ金預り」とあるから,無尽講の座元みたような存在であったようだ.津坂の道路を開くための資金を講から出してもらったことへのお礼と,後日になって迷惑をかけるようなことをしません,と誓った証文である. もう一つは,工事を請け負った側から出された証文だ. 差し入れ証券一札 証券写 福井伊之助が津坂道路の工事を1175円で請け負い,その保証人として測量帳(の提出)に印をもらったお礼.さっそく普請にとりかかったこと,万一見積もり違いや予想外の出費で請け負い金が底を尽きても自分たちで引き受け二方には迷惑をかけません,という内容である.差入主には(岡栄造と)福井作次郎とあり,本文冒頭から兄弟で引き受けた仕事のようだ.また差入先も小北勝右衛門(と森田義右衛門)であって,一つ目の古文書の名前とは異なるが,これら2つの古文書が同じ小北氏宅から提供されていることからも一族の者であることは間違い無いとのこと.
末松さんの解説によれば,工事を発注した林田の人々と工事を請け負った福井氏らの間の仲介役を,小北氏が担ったのではないかということだ.請け負い金がかなり安いのも小北氏の斡旋でうまく折り合いがつけられたものと見ることができる.資金が少ないんやけど,そこをなんとかならへんかなあ───と.
2つ目の古文書にある「右普請弐ケ所」という記述も興味深い.あるいはこれは,隧道の掘削と林田側の暗渠のことを指しているのではないか.あの暗渠は普請の一つと数えても大げさではない規模のものであった.とすると,暗渠の建設は十四年,これと同じ材質の石,コンクリートが使われているポータルも当時のものと見ることができる. 結局のところ,どうして柏原村の人物に依頼したのか,福井伊之助がどういう人物だったかについては知る術がなかった.しかしこの2つの古文書の存在は大きい.津坂隧道石ポータル=明治十四年竣工説を裏付ける材料の一つとなりそうである.
■参考文献 References
■謝辞 Acknowledgement 猪名川町立ふるさと舘の末松さんに多大なる御協力をいただいた.猪名川町教育委員会の担当者氏,大教大OBの矢野さんにも感謝. |