|行政:愛媛県八幡浜市〜大洲市標高:・319m
|1/25000地形図:三瓶(松山12号-1)調査:1996年12月


■背景 Background

 豊後水道に面した港町・八幡浜と,愛媛の中深部に控える大洲市とをつなぐ峠.名前の面白さはもちろんのこと,愛媛随一の長さで旧道が残ることも注目したい.

■調査 Experiment

 大洲市側は現国道197号から分岐してすぐJR予讃線をくぐり,1.5車線の舗装道でゆるゆると登っていく.夜昼集落の最後の一軒を過ぎたあたりに水場があり,水分の補給はここが最後である.見所が少ないために記述は短くならざるを得ないが,ともかくも長い峠道である.さすがに夜昼かかるほどではないにしろ,新トンネルを使えばものの数分で向こう側に行けてしまうことを考えると,改めて往時の大変さが偲ばれる.標高が比較的低いこともあり,これといったハイライトのないまま峠へ.

  峠は薄暗い岩壁+コンクリートの切り通し.完全に苔むしていてなかなかの風情である.峠の頂点に近い所に錆び錆びの看板があったが,何と書いてあるのかさっぱり解らぬほど錆びていた.その脇にはお地蔵さまもあり.西側は峠のすぐ下に民家がある.


 八幡浜側の峠道には見所が2つ.下り始めてすぐ現れる小さなループである.こうした所にループがあること自体珍しいが,いわゆるループ橋ではなく,トンネルを使って交差しているところに古さを感じさせる.トンネルの名前は「夜昼隧道」で,明治38年製の煉瓦トンネルである.日本土木学会の「日本の近代土木遺産-現存する重要な土木構造物2000選-」でCクラスに選定されている(その後,恐らく最古のループ構造としてBクラスに格上げされた.鉄道でもループが現れるのは明治42年開通の肥薩線であって,それよりも古い.───2005.3.付記).昭和46年に完成した現国道のトンネルと全く同じ名前(開通記念碑には「夜昼隧道」と記されている)であることも,旧道界では注目すべきことかも知れない.


 もう一つの見所は八幡浜市側の眺めだ.先のループを過ぎると,それまでの鬱蒼とした森がたちまち大展望へ変わる.鋭く落ち込む斜面は一面の蜜柑畑であり,旧道はその斜面を縫うようにして下る.報告者が越えた時はちょうど初冬の日が落ちかかる頃で,一直線に伸びた谷から見上げる夕日と,それに照らされる蜜柑畑の薄紅色が印象的だった.


■考察 Discussion

 さて,「夜昼峠」の名前の由来であるが,角川の地名辞典では「未明に麓を出発し,峠で夜が明けた」ほどの難所であったからと記している.これが一般通説となっているようだが,この峠の麓で生まれ,冬の風物詩として知られる霧を見て育ったという方は「(霧が)寄る・干る」がその語源だと断言する.報告者はどちらとも判断つかないが,峠の名ばかりでなく,麓に夜昼集落があるという事実は見逃すことができない.集落の名前から峠名がつく例は多く,命名までの流れも自然だが,その逆はなかなか考えにくいことである.語源はどうであれ「よひる」という名前の集落が存在し,そこへ越える峠であるために「よひるとうげ」となり,それが何かの拍子に「夜昼」という漢字が充てられたと見るのが自然であろう.逆に言えば,もし峠名が先で集落名が後であるならば,地名の成り立ちを探る上でも重要な例となる.


 

 

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