nagajisの日不定記。
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さすがに煮詰まってきたので気分転換に出かける。現役最古の煉瓦隧道(とされる)鰈川隧道。明治18年竣工。しかしいきなりだが、どうもコレ、明治18年竣工ではないような気がする。
理由はいろいろ。まず明治40年代測量の5万図に記載されて無い(根拠度50%。載って無くてもある隧道はあるしね)。側壁にはコンクリートが使われているし(同30%。確かにジャンカいっぱいだけどさ)、煉瓦は230x110x60の東京型だし(同60%・高い理由は後述)、よくよく焼けた赤色をしてるし(同65%・後述)。隧道脇に平の面を上にした煉瓦で組んだ樋を見つけたが、これもどちらかといえば機械整形っぽい(同30%。風雨で磨耗しただけかもシラン)。
それまで藤白坂と蕪坂を越えてた熊野街道が県道指定されたんは明治12年。その前後から鰈川経由の馬車道作って熊野街道にしようという計画はあって、これは田中善右衛門という人物が中心になって運動をしてた。で、県道指定を受けてからやっと事が運んで17年度より換線工事が始まってる。鹿瀬峠の北麓から海南(日方)にかけてを3カ年計画で改修・馬車道化。鰈川辺りは確かに18年に改修されてるらしい。
鰈川隧道竣工18年説の発祥地は「和歌山県の近代化遺産」だが、理由はその1点だけだ。18年に竣工された場所に煉瓦隧道があるから18年竣工なのだろうという展開。裏を取るためにそこからのref全部を辿ってみたが、明確に(隧道が)18年竣工という記録は出て来なかった。まるで全員が全員びみょーに言及を避けている感じ。refのrefとして善右衛門翁の事蹟をまとめた「安諦立志鑑」ちう本(明治45年刊・有田郡史談会編)も辿るが有田の安諦橋の話は出てきても鰈川隧道のことは出て来ない。むしろ下津町史なんかは(換線時の姿は)「鰈川坂の掘り下げなどで昔日の姿を留めない」とゆうようなことが書いてある。
この改修でできた道は幅九尺の馬車道だったとする本もある。有田市史では明治12年の熊野街道が九尺幅だったような書き方だが、確か周参見以南の大辺路は明治に改修されたが九尺幅だったんではなかったか。それからすると幅4.8mの隧道はでかすぎる。ちなみに由良洞は 3.3m。池田はもっと狭い。
和歌山にはM19竣工の旧池田隧道があり、次にM22の由良洞があり、いずれも54mm厚さの並型煉瓦であったと記憶する。色も橙に近い色でさほど技術がなかったことがわかる(旧池田は和歌山から煉瓦職人を呼んで麓で焼いた。ということは和歌山の職人自体あまり上手でなかったはず)。それからすると余りに立派な色形の煉瓦が使われている。中もちゃんと焼けてるしね。輸入ものならあり得るかも知らぬが樋の煉瓦に刻印は見出せず、だ。
現地でちょこちょこ尋ねて回ったが、詳しい方に出会うこと叶わず。ただ近所に「土屋善之助君顕彰碑」という明治27年の碑があったばかり。小さな碑でなんの事由に因り顕彰されたのかも不明成。
それよか、ようやく柱本の手堀隧道の真っ当な記録を発見した。昭和8年紀見小学校発行「紀見村郷土誌」第十三章人物編P4。M16着工・M17竣工・工費8000円余り。村道隅田街道の隧道として村の有力者岡貫一郎らによって作られている(岡はのちに紀見村の初代村長となる。町村制が始まったのがM22からなので「てくころ文庫」のあの人の聞き取り調査が初代村長云々という話から逆算したらしいこともわかるぞなもし)。あの石組みが当時のものかは不明だが「県下の隧道の嚆矢なりといふ」といふ記述もあって事実はよく把握されている。
M17・県下隧道の嚆矢となれば、いろいろと都合がいい。規範がないから切り込み接み=古い技術で坑門工作ってみた。村道だからあまり知られることがなかったし小さくて構わなかった。云々と考えられる(この一帯の中心地は紀見峠の集落=紀見村で、明治15年頃に細川下村やら細川上村やら柱本村やらが紀見村に合併(だったか、ともかく紀見村戸長の岡氏がその代表者になってたはず)。M19に初の煉瓦隧道・旧池田だしな。いろいろ辻褄は合うのよ。
作業再開、
「どこぞのロウソウじゃないか」と思ったあなた、正解です。
最近、おっちゃんに話し掛けられることが多くなって「あ、人らしくなったな>おれ」とか思う。昨日も、和歌山県立図書館の喫煙コーナーで煙草を吸っていたら、60ちょっとと思しきおっちゃんが、煙草に火をつけつつ、ボソリと話しかけてきた。
お:「吸い溜めっちゅうのはできんのやけどなあ(苦笑)」
図書館の職員氏かと思ったがそうではないらしい。聞けば定年退職してすることがなく、毎日のように図書館へ来ているという。人それぞれの苦労があるものだ。たまたま存じ上げている方が、定年退職後に東南アジアへJAICAのシニアボランティアとして出かける旨を小耳に挟んでいたりしたものだから、そんな話をした。
n:「かくかくしかじか。そういうテもありますよ」
お:「いやいやいや・・・」
謙遜するおっちゃん。だがnagajisは無条件に「勤め上げたひとは偉い」と思っている。そんな話もした。
そこへ別のおっちゃん(爺ちゃん?)が、突如として「NHKはいいぞう〜」と熱弁を振い始めた。カオスに巻き込まれたかと思ったが、要はNHK和歌山へ行けばデジタルアーカイブス見放題で暇つぶしできるということらしい。なるほど、そういう手があったか。おっちゃんも「いいこと聞いた」とほくそ笑んでいた。心底嬉しそうだったのが印象に残っている。
「琉球の風」は1993年の大河ドラマ。谷村新司歌う主題歌「階−きざはし−」が、おっちゃんは好きだったらしい(と検索してみて今判明した)。レコード屋を探しても見つからなかったそれが聞けるだろうと喜んでいた。何の皮肉もなしに「よかったなあ」と思った。nagajisはこういう時だけ素直である。
人の幸せは稼いだ金の額でも知名度の高さでも知り合った人の数でも計ることはできない。自身の来し方や眼前のある事象に対し自分がどれだけ満足できるか(orするか)という主観的な価値判断。所詮人生は「良かった探し」にあらざらんや。ただその思いを口にしたり文章にしたりすると「強がり」とか「負け犬の遠ぼえ」ぽく聞こえがちだから、それを恐れてセルフ箝口令を敷いているだけだと思う。
そう達観しつつも、決して満足せずにおきたい。満足した瞬間にそれ以上発展する可能性を失ってしまう。いつも自身に批判的で、自身のやることなすことにケチをつけておきたい。廃道探索もまた同じ。
ということを考えたひとときを過ごした。
最近若い女性の間で溶接が流行りらしい。まさかとも思うがNHKラジオ第一が言ってるんだから嘘ではあるまい。
アタシ最近、溶接に凝ってるの。
という言葉が飛び交う世界があるということは小さな驚きである。今度受付にやらせてみたくも思う。
しかしそのことより、最初に脳内で「夭折」へ変換してしまい、話がひどく噛み合わなかった。
アタシ最近、夭折に凝ってるの。
檸檬置いてみたりとかみんなちがってみんないいと信じ込んでいる連中も多いと聞くしな。夭折で長年の夢を叶えようとしている方もいるらしい現代の明日はどっちだ。
受付さんの溶接>ぜひとも拝見したく。
ガス・アーク両方取ってるが、ガス溶接は女性向きっぽいw
よく考えたら受付って若い女性の範疇に入らないんじゃなうわなにをするやめくぁwせdrftgyまゆみlp
私、ガス・アーク両方資格有り&使用可能ですよ@若い女子に流行り(笑)。ただし、登山家のザイルや金管楽器などは除きますが(爆)。<br>熔棒を無駄にすれば絵や文字も書けて面白いですよね♪<br>ケーキ造りの親戚!?