nagajisの日不定記。
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ふらっと出かけた先で積年の謎が解けた。岸の社宅はやはり弘栄煉瓦のものだった。K刻印は弘栄のものだとも。Amida Brick Companyはどこいった。
機械成形をやってたというからおそらく戦後の話であるはず。となると社宅周辺に転がっている釘KもしくはKのみが弘栄煉瓦のものと思わる(社宅の基礎にも釘Kが使われとる)。数字がついているという話にはあまり反応されなかったが「煉瓦によって値段が違うからねー」と仰っていたのが気になるぞ。
そのへんもっと突っ込んで聞かねばならぬ。こんど手土産をもって再訪するよろし。今日は何の準備もしていなかったし、何より暑くて死にそうだった。
宝殿駅前の交差点の近くにある煉瓦壁はK4。位置的には弘栄と播煉岸工場が近い。最初にK4を見つけたのも岸だった。しかし弘栄=Kだとすると数字付きは何やねん。戦前は現想定のようで、弘栄煉瓦が興った頃か戦後くらいにはKオンリーを使ったか。S7 弘栄煉瓦 → S22 弘栄煉瓦(株) →S28頃廃業。間違えた、岸工場はS16.12. 弘栄煉瓦(株)岸工場 → S38頃廃業だ。
せやねんなー。釘Kは機械成形のに押されてるんだ。
加古川大橋の東のたもと、ニッケ社宅の辺りで上記の共使いを見る。播煉は線描のような細いやつ小さいやつ。ワはポップ体のごとくな丸っこいやつ。㋩(おやこんな機種依存文字があるんか)は以前加古川交通の前あたりで見たやつ。
遺構は国道2号に面した建物の跡。道路に面した一辺は播煉とワ、垂直な辺は㋩ばかりという妙な偏分布をしている。全部を共使いと見て可いなら遅くてもS3以降ということになり㋩=原田商会の可能性が生じてくる。あるいは播陽→播煉別所工場の切り替わりの頃とも考えられなくもないが、あ、そうすると「ヲ」はどないなんねん。播陽の工場主が小田千代蔵だったでしょ。そもそも播陽のあたりでは㋩は見てないんだよ。やっぱ原田煉瓦工場かしらね。
国道2号の加古川橋は1924(大正13)年8月11日開通。その取付き道路の縁にあたる建物なのでそれ以降の建設なのは間違いない。とするとS3以降でも間違いじゃない。