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風の森峠 (かぜのもりとうげ)

【標高】250m
【行政】奈良県御所市
【経緯度】北緯:34°24′18″/東経:135°42′57″
【水系】大和川水系葛城川〜紀ノ川水系宇智川
【二万五千図】畝傍山:NI-53-15-6-2 和歌山6号-2
【五万図】五條:NI-53-15-6 和歌山6号 \ S53修
【ツーリングマップル】関西 P53 6-A

 国道24号。いい名前ですねえ。銀輪'96・P175、高安氏の随想中に初出。

■編集者のコメント

 紀の川本流(吉野川)を離れ、山すそとも丘とも形容のしがたい不思議な地形を登った先が風の森峠。別の場所にあった看板によれば、紀の川に沿ってあがってきた風が金剛山を巻いて南西の季節風となり、つねにこの地を吹くために風の森という地名となったのだそう。現在は国道のピークが風の森峠ということになっているが、そこだけ見て帰るととてつもなくつまらない。風の森バス停がそばにあるというばかりで、峠の看板も地名看板もない。ここはぜひとも国道ピークの西側の丘にある風の森神社へ行こう。小さな境内には社と大木が残り、天誅組にまつわる石碑などがある。
 千早峠を越えて五条の代官所を襲った天誅組は、この峠に陣を張り、次なる攻撃目標である大和高取城へと雪崩れ込んでいった。しかしその間、有名な「八月十八日の政変」が起こる。薩摩・会津の両藩が公武合体派の公家と謀り、武力討伐に傾きかけていた朝廷から急進派の三条実美を追放。同時に尊攘派である長州藩勢力を京都から追い出してしまうのである。政情的な拠り所を失い、かえって逆賊として追われる立場となった天狗党は翌九月、追討諸藩兵の攻撃に破れて壊滅。わずか1カ月余りの蜂起ではあったが、これを発端として日本中に武力討幕の火の手が上がりだすのであった。(2002.6. ながとみ)

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■関連リンク

・国土地理院地形図閲覧システム:風の森峠 とはいえ周囲は水田
・国土地理院『うぉっ地図』:風の森峠
・国土交通省空中写真:CKK-74-9-C7C-5, 6, 7 / CKK-74-9-C8-45, 46


風の森神社
 風の森神社をバックに自転車。志那都比古神という風の神様を祭っているそう。(な)

風の森峠
 風の森神社の西側を抜ける道。ここが古い風の森峠ではなかろうかと思う。(な)


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