『堀河帝の寛治四年(一〇九〇)、西は友ケ島から東は金剛山二上山に線を引く葛城高野山系に、経文二十八を埋め、その後修験道の信者は、埋められた経文をたどって信仰を深め、徐々に信者の歩く道ができ、橋が作られていく。和泉から紀州の、風吹峠、教子峠、五本松峠は、こうした信者が開拓していったもので、この根拠地が葛城山であった。』[日本百名峠より]
■みなさんのコメント
■関連リンク
・国土地理院地形図閲覧システム:葛城山
・国土地理院『うぉっ地図』:葛城山
・国土交通省空中写真:CKK-74-9-C12B-12, 13, 14, 15 / CKK-85-2-C17-20, 21, 22, 23 / CKK-85-2-C19C-10, 11 / CKK-85-2-C18-25, 26, 27, 28 / CKK-85-2-C19C-8, 9 / CKK-74-9-C11A-18, 19