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蠅帽子峠 (はえぼうしとうげ)

【標高】960?m
【行政】福井県大野市〜岐阜県本巣郡根尾村
【経緯度】北緯:35°46′46″/東経:136°33′56″
【水系】九頭竜川水系蠅帽子川〜揖斐川水系根尾西谷川(小倉谷)
【二万五千図】能郷白山:NJ-53-7-6-3 岐阜6号-3
【五万図】能郷白山:NJ-53-7-6 岐阜6号 ¥
【ツーリングマップル】中部北陸 P53 1-D・N

 現在の地形図からは消失しているが、北側にダムができるまでは美濃-越前間の主要道であったようだ。ダム側に蠅帽子谷があり、ここから這越山の肩を越えていったものと思われる。岐阜側は根尾村大河内のコワタビ谷のあたりから尾根ぞいに点線道が伸びており、分水嶺の尾根で切れている。恐らくここが蠅帽子峠であろう。歴史上では、幕末に勤王派として京都に攻め入ろうとした武田耕雲齋らの一行がこの峠を越えている。ちなみに柳田国男もこの峠を越え、峠に地蔵堂があることを記している(秋風帖)。
 気になる名前の由来はいくつかあって、一つは「夏は蠅多き故に笠を冠る」ので蠅帽子という説がある。また、「旅人が大量の蠅にたかられて(?)帽子を冠ったようにして死んでいた」ので蠅帽子という、というのをどこかで読んだ記憶がある。これら2つは「いかにも」なのであまり信用していない。むしろ、附近の這越山(地形図では越山としか記されていない)を古くは灰ホウジ山といいそこから附いたという説のほうが妥当のように思う。灰ホウジは明らかに灰傍示であり、国境に傍示が立てられていたのが(山火事あるいは人為的に)焼けてしまったので灰傍示、ということであろうと思う。もちろんそうだとする根拠はないのであるが、地名から伝説が生まれることはあってもその逆は少ない。あったとすればそれは比較的最近につけられたもので、ここはもっと古くからの歴史があってしかるべき道だと思う。(な)

 2002年の夏に蝿帽子峠への分岐で見た看板(根尾村教育委員会の手による)には「這星峠」とあり。教育委員会がそうするとは何か訳がある当て字なのかも知れない。少なくとも私は初見であった。で、当のその道は川で寸断されている上、前日の大雨によって水量がものすごく、どう辿っても向こう岸へ渡れそうになかった。この峠を目標にして出かける場合は過去の天候を調べておいたほうがいい。(ながとみ)

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■関連リンク

・国土地理院地形図閲覧システム:蠅帽子峠のはず。峰の部分で切れている道
・国土地理院『うぉっ地図』:蠅帽子峠  
・国土交通省空中写真:CCB-77-13-C3A-7, 8, 9 / CCB-77-13-C4-10, 11 / CCB-77-13-C10-10 / CCB-77-13-C4-8, 9 / CCB-77-13-C10-8, 9
・福井県のすぐれた自然データベースより蠅帽子川流域のキタゴヨウ林
・岐阜県側から見た場合。マルチメディア 平成の風土記 岐阜


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