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関山峠 (せきやまとうげ)

【標高】600m(旧隧道)
【行政】山形県東根市〜宮城県仙台市青葉区
【経緯度】北緯:38°22′55″/東経:140°33′57″
【水系】最上川水系乱川〜名取川水系広瀬川
【二万五千図】関山峠:NJ-54-21-6-4 仙台6号-4
【五万図】関山峠:NJ-54-21-6 仙台6号 \ S46修
【ツーリングマップル】東北 P44 5-G

 現在の国道48号・関山トンネルの上に旧関山隧道が残っている。基礎は明治十五年竣工の素堀り隧道(のち、昭和初期に改修)。地形図ではこちらの旧隧道のほうへ「関山峠」と記されている。ちなみに5万図の名前になっているただ二つの峠の一つ。
 関山街道の道筋は現国道48号とほぼ重なる。仙台と山形を結ぶ幹線道路で、笹谷街道(笹谷峠)、二口街道(二口峠(山伏峠・清水峠))とを含めた三街道は、仙台側からは「西道」と呼ばれた。標高から見ればこの関山峠が最も低いのだが、にもかかわらず初期の関山峠の利用率はずいぶん低かったようである。
 関山峠が幹線として活躍しはじめるのは、明治十五年に関山隧道が開通し、車や馬が通れるようになってから。宮城県の野蒜築港が東北開発の拠点になると注目した山形県令・三島道庸が、宮城県令松平直正と協議し、山形の産業とこの港とを連動させるために関山峠へ隧道を穿つことを考えた。明治十三年に着工し、大きな火薬事故などもありながら、翌々年の十五年に完成している。  それ以前の関山街道は「嶺渡り道」と呼ばれたようだ。地形図で見ると、現国道48号の関山トンネルのある谷と旧関山隧道のある谷を分けるのは、国境に対して垂直に張り出した大きな嶺。この嶺を伝って越えていたのであろう。もちろん地形図からはその道が消えている。(参考・無明舎出版「東北の峠」)(な)

■編集者のコメント

 東側は愛子駅前のバイパス合流点から作並までまったくスキのない道。3%以下の緩い勾配をきれいに保ちながら、一切のアップダウンなしで登っていく。勾配的に美しい道と言えよう。路側帯が狭くて難儀するがそれに目をつぶって有り余る走りやすさがある。作並にあるサンクスを過ぎてから、ようやく峠らしい登りの始まり。宮城側の隧道口はH字綱で塞がれていることは知っていたが、やっぱり行かねばという気持ちになって、宮城側の旧道入り口を探しながら登る。が、それらしきものがさっぱり見当たらず。ようやくのことで何やら橋のようなものを見つけるが、国道から高さ50cmほどのところから始まる上に草ぼうぼうでこれは通れたものではない。あっさりあきらめてトンネルを越え、山形側から入ることにする。
 こちら側の旧道は現在の国道が通っている谷とは別の谷にある。2kmほど下ってまた登り直し。国道から分岐してすぐに地道となり、ほとんど道と一体化しているボロボロの橋を渡って谷の右岸へ。旧隧道はこの右岸道の最上部にある。
 轍は一本しか見えないが、万世大路に同じく1.5〜2車線幅であったことが伺える道のつくりをしている。しっかり締まった砂利の上に薄く苔がはった所や岩盤を平らに削って道とした箇所、岩肌もあらわな切り通しなどもあって往時の苦労がよく偲ばれる。上に行くほど荒れるかと思いきやそんなことはなく、逆に登れば登るほど2車線の幅があきらかになってくるのだった。
 トンネルの入口左手から土砂が崩れかかっており、真正面から隧道全景を見ることができず。内部も1×1mほどの落盤があって、だんだん崩壊が進んでいることを知る。コンクリート敷きの隧道を抜け宮城側へ行ってみるが、確かに柵がしてあって通り抜けられず、その上に出口付近に水が溜まっていた。解っていても呆然とする光景であった。(2002.8.:ながとみ)

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■関連リンク

・国土地理院地形図閲覧システム:関山峠
・国土地理院『うぉっ地図』:関山峠 
・国土交通省空中写真:CTO-76-20-C6-10, 11, 12 / CTO-76-20-C7-10, 11, 12
・旧道倶樂部活動報告書総覧:関山峠


峠道・山形側
 山形側の峠道の一部。岩盤を削って道としている。(な)

峠道・山形側

 上部には二車線幅の痕跡も。(な)

関山隧道
 関山隧道口。(な)

隧道内部
 向こうには通り抜けられません。(な)


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