こだわりの分水嶺


[an error occurred while processing this directive]

分水"例"-1.本州で最も低い中央分水界・兵庫県氷上町石生

 本州の中央分水嶺の中で最も低い所。それが兵庫県氷上町石生(いそう)である。「分水嶺」という字をあてるように、ふつう分水界は山の峰沿いにあるが、ここ石生では平地の中を通っている、いわゆる谷中分水界である。その標高はおよそ100m。しかも、高谷川という一本の川が分水界を成しているという、非常に珍しい例である。この川から北に分かれた枝溝はやがて竹田川となり、宮津川となって日本海に注ぐ。一方南へ分かれた枝溝は佐治川、加古川を経て瀬戸内海へと流れている。
 この特異な地形ー一筋の川が日本海にも瀬戸内海にもつながっているーは昔から知られていたようだ。北陸から上方へ物資を運ぶ北前船の荷を、この二つの川を運河として利用して運ぶ運搬路の計画があったという。江戸時代の話である。これは氷上迴廊と呼ばれ、由良川を遡上し福知山まで運ばれた荷を、穴裏峠を経由して石生に運び、そこから再び水運で加古川へという道筋であった。が、川を水路として改修することが非常に困難であったらしく、結局実現には至らなかった。
 石生の分水界は地域の生活にも浸透している。この川にかかる橋を、地元の人は「水分橋(みわかれはし)」と呼ぶ。巾4mほどの川にかかる小さな橋だが、「みわかれ」が「身分かれ」に通じるとして、見合いの男女や婚礼の行列はもちろん、結納の荷品さえもこの橋を避けて通ったという。
 標高100mにも満たない平地の分水界。このような地形はどのようにしてできたのか。石生にある「水分れ資料館」の説明によればこのような感じである。

 今から2万年前、氷上盆地は大きな湖沼だった。つまり、一つの湖沼が分水界を成していたわけだ。これが長い間の侵食や地殻変動で、湖底に泥や砂がたまり、だんだんと干上がっていった。やがて湖沼は湿地帯となり、同時に分水界は、日本海側の陸地の隆起によって北へと移動していった。北に流れていた竹田川は逆向きに流れ始めた。
 そのうち、盆地の一角にある山(現・清水山)の谷から土砂が流出し、いわゆる扇状地を形成しはじめた。ちょうどこの谷の向かいには一つの山があり(現・城山)、扇状地が拡大するにつれて、この山と山の間が周囲より高くなっていった。こうして湿地帯は分断され、川沿いの分水界となった。谷から流れて扇状地を形成したのが、先に述べた高谷川である。

他にも、以前は峰続きだったのが地殻変動で陥没したという説もある。この付近は山脈と山脈がぶつかる所であり、かつては変動が激しかったようだ。いずれにせよ、氷上盆地が湖沼であったという推定は一致している。

No.1
1.約2万年前の氷上町付近。佐治川と竹田川の流域の一部を含む湖沼があった。
この湖沼全体が分水界を形成。

No.2
2.日本海側の陸地の隆起によって分水界が北上。竹田川が南流しはじめる。

No.3
3.湖沼に砂や泥がたまり、だんだんと浅くなって、ついには湿地帯となる。
また、石生の水分れ付近(黄線部)では、

No.4
4.清水山の急峻な谷が扇状地を形成しつつある。谷を流れるのが高谷川。

No.5
5.やがて湿地帯は完全に干上がり、盆地となる。扇状地の形成によって分断されたため、竹田川は再び北に流れはじめる。

 太古の昔に氷上盆地が湖沼であって、二つの海につながっていたという説を裏づける証拠はいくつかある。

 石生のいそべ神社の近くに、この特異な分水嶺を紹介する「水分れ資料館」がある。石生の分水界の詳しい説明はもとより、全国の分水界や分水界のある市町村のパンフレット、水に関する本などが集められている。分水嶺に興味のある方は行ってみてはいかがだろうか。

水分れ資料館・毎週火曜、年末年始休館
入館料・大人200円・子供100円(30人以上の団体は半額)


| 付録目次へ | 目次へ |

Bunsuireipedia
Drafted by Osaka Univ. Cycling Club 20th Anniversary Project committee
Restored & Revised by Ken Nagatomi [E-mail:?@nagajis.dyndns.org]