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物logue - Bicycle "KUWAHARA"

 

 私の名前は桑原。主人がそう呼んでいるのではなく、生みの親から貰った歴とした名前である。マウンテンバイク───私が生まれた当時はATBという呼称が一般的だったが───にしては珍しく日本製である。それもそのはず、私の生みの親は日本にはじめてMTBを持ち込み紹介した桑原輪業社だ。ダウンチューブのロゴはKUWAHARAとローマ字書きだが、シートチューブに私の由緒たる桑原ロゴが入っている。誰かに見せてやりたいと常々思っているのだが、ふだんは主人の取りつけた担ぎパットで隠されているのが悔しい。シートステーのKマークが常に表に出ているのがせめてもの救いだと自分を慰めている。

 実は私、前の持ち主から見捨てられて、もうすぐで廃棄処分になるところだった。駅前で何ヶ月も放置され、撤去しますの札を幾枚もつけられ、チェーンもワイヤも錆々になっていた私を最後の最後に拾ったのが今の主人で、こうして今でも乗られている。本当は「もうすぐ楽になれる」と諦観して最期を待っていたから、要らぬことをしてくれたものだとその時は思ったものだ。声が出せたら「泥棒!」とか何とか叫んでやりたかったが、如何せん私はモノであって叫ぶことも動くこともままならなかったのだった。

 はじめは私が桑原ということにだけ興味を持っていたらしい主人も、私が意外に軽く乗り心地のいいことに気づいてからは、私ばかりに乗るようになった。1.25インチだとかいう変なタイヤを履かされたり、主人が自分で組んだダブルクロスのホイールを履かされたり、MTBだのにドロップハンドルをつけられたり───そのくせ主人はいやに器用に乗りこなすのだ───、そのドロップハンドルにコマンドシフターを取りつけたりと、好き放題にいじり回してくれたものだ。ヘッドパーツさえ交換されたから、原型を留めているのは本当にフレームしかない。そうして雨ざらしの道端に鍵もかけずに停められて、死にそうになってようやく手入れしてくれるという有り様。酷いものだ。間違ってもサイクリストの風上にこういう人間を置いてはいけない。あの時あのまま廃棄されてしまったほうが良かったのではないかと思うこともしばしばあるが、私は黙って乗られ続けるしかできないのだ。

 こんなふうに少々癖のある主人だが、時々は愛情のようなものを感じることがある。九州の山の中で私だけ車にはねられた時は本気になって心配してくれたし───その時はハンドルが曲がっただけで済んだのだけど───、今の主人のところに来て5年目にして初めて盗難に遭ったときも、主人はわずか1日かつ自力で私を探し出してくれた。そうして、私を信頼して、どんなところにも私を連れていってくれる。時にはMTBの私がびっくりする位に山の中だったり、藪や沢の中だったりすることもあるけれども、少なくとも前の主人のように見捨てたりはしてくれないようだ。

 ついでだからもう一つ持ち上げておこう。私が一番気に入っているのは、生みの親が私を世に出す時に持っていた「心意気」を、今の主人が理解しているらしいところだ。風の便りに聞けば産みの親はフレームビルダーとしての仕事をやめて久しいという。もちろん今も台湾でKUWAHARAブランドの自転車は作られているが、あれはOEMみたいなもので、私の生みの親が手づから作ったものではない。パーツのアセンブルで自転車の価値が決まってしまうという風潮になったのが面白くないから、というのが辞めた理由らしく、いかにも彼なら言いそうなことだ。そうして今の主人も、決して高価なパーツで飾ったりせず、私を「乗るモノ」として扱ってくれる。これほど嬉しいことは、実はないのである。


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