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物logue - REDWINGS Irish Setter

 

 今現在主人の回りにあるモノの中では古参の部類に入る。革靴だ。92年の5月にアメリカで生まれ、その翌年の春に主人に買われて日本にいる。高校3年生だった彼が田舎の温泉旅館に1週間泊りがけで働いたアルバイト代で買われた───しかも私を買うためだけに働いたというから泣かせるじゃないか───だけあって、当初はずいぶん可愛がられたものだ。主人となった彼の足の臭さには閉口したが、我慢して働いたもんだよ。おかげでよく使い込まれた革の色はおれのちょっとした自慢だった。町中で幾度か同輩とすれ違い、挨拶を交わしたことがあるが、みな私を見ていい色だと褒めてくれたものだ。きっと主人はそんな社交が靴の世界にあることを知らないだろうがな。ちなみに言っておくと、おれは今現在入手できるモデルより一世代前のIRISHSETTER。最近の若者はタグがないから何だか偽物っぽくていかんな。

 それにしても人間は身勝手だ。さんざんこき使っておきながら、靴底が擦り切れてしまってからの扱いはどうだ。すっかり私のことを忘れて、1年も2年も履かず、オイルも塗られずに放っておかれたんだ。暗い靴箱の中でモノの運命のはかなさをつくづく思い知らされたものだ。それでもこうして捨てられずに存在していることについては、主人に感謝せねばならないだろう。否、主人の貧乏性に、と言ったほうが正しいが。

 どうしようもなく擦り切れたあと、一度だけかかとの補修を受けたことがある。ふっと思い立った主人が近くの靴屋に持ち込んで当てをしてもらったのだ。だがそれも、ほんの数カ月ですぐに擦り切れてしまったよ。ここだけの話だが、短い足のくせに大股で歩くからかかとだけが異様に早く削れてしまうことに、主人はまだ気づいていないようだ。

 そんな私も、ようやくのことでオールソールされ、一人前の靴としてまた仕事に出ることになった。オイルを塗られなかった期間が長すぎて取り返しのつかないくらいに皮が弱っているが、使い潰されることを主人と約束させられて買われたんだ。以前みたいな無茶はもうできないが、これも天命と思って働くしかないだろう。あと、純正のトラクショントレッドウェッジソールではなく普通のブロックソールになってしまったのはいささか不満だが、これはまあ気分転換になっていいかも知れない。おれだって本当は山道のほうが好きだしな。


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