旧丹州街道

■調査 Experiment

 最も広義の意味での「国道173号旧道」,池田と京都北部とをつないでいた古い道は,のちに丹州街道と呼ばれることになる一筋の山道であった.池田村吉野から横山峠を越え,「文珠の渡り」と呼ばれた徒歩渡りの川越えをして,関所があったという中山峠に向かう,といった具合に峠の連続する街道である.とは言い条,池田から中山峠を越えるまでの街道はほとんどが新興住宅地やゴルフ場によって消滅しており,報告者は文献でその名前を知るばかりである.

 

 

横山峠

 最も南にあったこの峠は,峠より南側にかつての道筋が残っている.いわゆる「多田のダイエー前up」の旧道である.詳しくはORJ#21,拙作「北摂線描」をご参照いただきたい.


 

 

中山峠

 一ノ鳥居を経由せず,平野と畦野(東畦野)を直線的に結んだ.平野側は多太神社の前に辻があり,そこから緑台を経て中山峠に向かう道筋が(舗装道となって)残されている.峠より畦野側は残念ながらゴルフ場の下敷きだ.かつて峠にあった道標は,いま栄南住宅団地の敷地内に移設されている.ORJ#22,拙作「北摂線描」にて報告済.


 

 

岡ノ辻峠

 中山峠から下ってきた道は,多田源氏ゆかりの寺,小童寺を左に見ながら登って行く.登りついたところが岡の辻峠だ.次の峠・大部峠までの区間は日生ニュータウンの大通りによって失われている.


 

 

大部峠

 この大部峠は「小部峠」とも書き,昭文社発行の山と高原の地図・北摂の山々では前者が採用されている.字面では全く正反対のように感じるが,読みは「おべ」であり充てる漢字が違うだけなのだという.南側に緩く長く続く峠道は,むしろ北側から下りを楽しみたい道である.峠には旅人や牛馬の喉を癒したであろう井戸も残っていおり,往時を偲ぶに充分な風情があるが,趣を添えていた南側峠道のクヌギの並木は無造作に切り詰められてしまった.2000年頃のことだったと記憶する.


 

 

阿古坂峠(カイモリ峠)

 道は峰上に開けた民田集落をかすめてさらに峰を辿る.行き着く先は阿古谷の最上部・かいもり峠(阿古谷峠)である.この峠には車道が通っており,昭和55年に一庫ダムが完成する以前の主要道でもあったが,これはもちろん阿古谷を遡ってくるものである.古い街道はその側面から合流してくることになるわけだ.報告者はかつて知らずにこの道を辿ったことがあったが,篠竹に覆われて廃道化しているものの,大部峠南側にあったのと同じようなクヌギの並木が残っており,街道の続きと知らされたのだった.


 

 

稲荷坂

 街道は能勢の盆地で穫れた米を運ぶばかりでなく,池田や伊丹といった酒処に能勢亀岡の杜氏が向かう道でもあった.阿古坂峠から能勢町上杉に向かう区間の小さな峠は「稲荷坂」と呼ばれ,行き来した杜氏衆はその道すがらにある清水で喉を潤したという.その清水も今は昔,薮の中にひっそりと建つ「稲荷坂」の句碑がなければ気づかないほどに忘れられた存在となっている.


 

 

浮峠

 街道はいったん能勢の盆地に降りるが,現在の町の中心部である森下へは向かわなかったらしい.降り着いた谷の向かいにある小さな峠・浮峠を登り,足早にはらがたわ峠へと進んでしまう.この浮峠もまた車道の峠となり,かつての街道の姿は微塵も残っていないが,苔蒸した石積みの切り通しがなかなか風情のある峠である.峠の切り通しの傍らに旧峠が残るそうだが,報告者は未だ訪れたことがない.



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