明地峠(鳥取側)



 

 

 鳥取側.のっけから廃道である.峠の切通しからトラバースに入るカーブには,道の存在を否定するかのような数十年ものの木が立っている.石組もまた激しく壊れ気味である.

 

 

 

 山の斜面をトラバースしていく部分にも杉やら熊笹やらが茂っていて,そして広葉樹の若木が斜めに傾いで通せんぼをしている.そのかわり道そのものは,北側斜面であるためであろう,崩落しているような箇所はほとんどなく,戦いの相手はこの草木のみである(しかも最も邪魔そうな木の枝には,先人の格闘の跡が残っている.かなり鋭利なナタで切ったようで,鋭角にスパッと切り取られていたのを鮮明に覚えている).


 熊笹も密度が低い御蔭で楽に抜けられる.森の緑のすき間から向こうを見やれば,対岸に大きな山の斜面.木々の一本一本が見えるような近さだが,いつも空想するごとく,そこへ行くことはとうてい不可能.報告者だけにしかわからないであろう比喩をあえてしてみれば,「軽岡峠西側を易しくしたようなもの」とでも云おうか.


 峠下のカーブから一回目の折り返し地点(左写真,下方から)まではほぼ上の通り.道幅も折り返しのカーブも車一台が通れるか通れないかというようなサイズで,車道として整備された歴史があるのか,それとも馬車道程度までしか使われなかったのか,どちらとも取り兼ねるような微妙な幅である.昭和49年12月に明地トンネルが完成したことを考えると車が通っていてもおかしくないが,それでも離合はできなかったに違いないことは確かだ.この一回目の折り返しのカーブには接線方向に伸びる枝道があるので,下から登って来ると迷うかも知れない.折り返しからは杉桧の林が混じり始め,日が差さなくなってしまうためさらに廃道度は下がる.有難いような寂しいような.

 そうそう,上記区間中には沢を端で渡っていたらしい箇所があって,切り通しの石組と全く同じフレーバーの石組の土台だけが残っていた.右の写真は上り方向にその石組を写したものである.

 

 2回目の折り返しも少々トリッキーである.先程のカーブを上下反対にしたような恰好で,下り側に偽の林道が伸びている.正しい道の谷側には峠の切通と同じ石組がなされているので,こいつを追いかけて曲ればよい.この後いったん開けた斜面に出るが,次の折り返しまではすぐである.

 最終的にこの道は小さなコンクリート橋を渡り,つい最近造りましたというようなダーティーな地道に合流する.この道は合流点のわずか先で行きどまりになっているので,ここでは迷わないだろう.むしろこの地道が三谷最上部の舗装道と合流する地点や,三谷からこの舗装道まで至るのに迷うに違いない(7年前の報告者のように.当時は右岸をたどっていたように思う.振り返ってみれば全く反対側である).いちばん解りやすいのは,国道の「登坂車線終了」の看板脇から左に折れ,最初のト字路を道なりに,次の十字分岐を右に進んで,最初の地道分岐を地道に入るという行程か.などと書きながら,2節目と3節目はあいまいな記憶に拠っている.はてこんなので大丈夫なのか.


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