万世大路(山形側・その1)

■調査 Experiment

 歴史の項目で少し触れたように、山形側の麓に作られていた苅安隧道は昭和の改修で切り通しとなり、現国道の大きな切り通しとしてその痕跡を留めている。米沢市街からフラットな路がひとしきり続いた直後の、軽い登りの小ピークである。現在は谷の右岸から国道が登って行くが、ピークの直前で右岸からも道が合流してくる。あるいはこちらが改修以前の道だったかも知れない。

 

 苅安隧道跡からさらに登ること1kmほどで、川越石の万世大路パーキングに到着する。このパーキングには万世大路に関する石碑を集めた「万世大路公園」が併設されているのでぜひとも立ち寄りたいところだ。昭和期の改修を記念し東口に建てられた「萬世大路改築記念碑」(左写真右端)や、初代隧道の完成とともに西口に作られた栗子神社の碑(同中央)などがここに置かれている。栗子神社は当初、米沢の名君・上杉鷹山と工事の良き理解者であった大久保利道(明治11年、完成を前に暗殺されていた)を祭るものとして建てられていたが、昭和の改修時に三島道庸も合祇されたと聞いている。また、旧栗子隧道の壁面のレプリカ(右写真)もあり、簡単には訪れることのできない旧隧道の雰囲気を手軽に味わうことができるようになっている。勿論、実際に現物を見るにしくはないのだが。

 いよいよ旧道へ。地形図によると現国道から米沢採石場へ入る分岐に石碑があるようだが自分は発見できず。見落としたのか、それともどこかへ移動したのか。採石場は日曜休日は閉鎖されているので、車で行こうという人は注意。採石場までの道はさすがに踏み固められて立派過ぎるほどだ。恐らく昭和の改修直後もこんな感じだっただろう。事務所や車庫、ホッパーなどの建物の前を過ぎ、採石現場へ向かう登りのカーブの先に滝ノ沢橋。ほとんど草に埋もれかけ、欄干もぼろぼろになった姿からは往時を偲ぶことすらできない。

 この道が作られた当初の橋は、土台から欄干に至るまで全てが石組みの橋だったといい、それまで全くの原生林だったところに突如としてできたこの橋は人々を大変驚かせたという。新道工事そのものの現実性を疑う者も多かった中で、「不安を拭うには実際に工事を進めるに限る」と考えた三島が真っ先に作らせたのが、苅安隧道でありこの橋だった。いわば工事のデモンストレーション的な役割を担っていた橋なのである。その後老朽化と車線拡張のために取り壊され、明治の終わりには木製の橋に、昭和の改修時にはコンクリート橋に付け替えられた。それが今も残っている滝ノ沢橋である。ちなみにこの橋、資料によって滝の沢橋だったり滝ノ岩橋だったり滝岩上橋であったりとかなりまちまちである。改修ごとに名称か変わったのか、それとも私が調べ損なったのであろうか。


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