この先は東側とほぼ同じ雰囲気の道。本谷である栗子谷をいったん離れ、支谷をヘアピン含みで登り上げた地点まで車道幅は続く。基本的に北向き斜面につけられた道であり、特にこの支谷付近は道の残り具合いがよい。もちろん日が差し込むところでは容赦ない草薮であるけれども。
西口坑口。東口と同じ『栗子隧道』の扁額が掲げられている。あちらに比べて風化が激しく、倒木が倒れかかっていたり石組みのアーチが崩れ落ちたりしている。付近の荒れ具合もまたこちらのほうが酷い。内部にはなぜか焚き火の跡。それもかなり古いもののようで、布だか紙だかわからない白い燃えさしが、まるでくもの巣のようにぼろぼろになって燃え残っていたのが印象的な光景であった。昭和46年に起こったという崩落は隧道のこちら側に近く、入って100mほどの所で土砂崩れとなっている。数年前にはこのトンネルを農産物の貯蔵庫に使おうという計画があったと聞くが、果してこの土砂崩れをどうするつもりであったのだろう。何の皮肉もなしにそう尋ねたい気がする。
その旧坑口は、現在もまだその口を開けてはいるものの、ポータルに相当する付近が大きく崩落しており、高橋由一の油絵で見るような端正で四角い姿とは似ても似つかぬ有り様になっている。そうしてその落盤を覆い隠すように緑の苔が生えており、何も知らない人にこの坑口だけを見せたら間違いなく洞窟と思うに違いない。それでも、人工物である証左としての鑿の跡が幾筋もの白い筋となって壁面に残っている。
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