万世大路(山形側・その2)

 この先は東側とほぼ同じ雰囲気の道。本谷である栗子谷をいったん離れ、支谷をヘアピン含みで登り上げた地点まで車道幅は続く。基本的に北向き斜面につけられた道であり、特にこの支谷付近は道の残り具合いがよい。もちろん日が差し込むところでは容赦ない草薮であるけれども。
 こちら側のシングルトラックは栗子谷の側面をトラバースしはじめるあたりから始まる。ブナの林の陰で雑草が薄くなったり、日の差す斜面で草まみれになったりを繰り返しながら登るが、ラスト数kmは完全に丸々草藪のトラバース。峠直前のヘアピン付近などは特に草深く、報告者のように夏に来てしまうとかなり難儀だ。道に沿って小さな沢が流れ始め、隧道が見え始めても、周囲はイタドリの海で全く進むことができない。こいつはたやすく折れるものの、なかなか千切れてくれないのだ。幾らでも人と自転車に絡まってきて、最後はこちらのほうがキレてしまう。

 西口坑口。東口と同じ『栗子隧道』の扁額が掲げられている。あちらに比べて風化が激しく、倒木が倒れかかっていたり石組みのアーチが崩れ落ちたりしている。付近の荒れ具合もまたこちらのほうが酷い。内部にはなぜか焚き火の跡。それもかなり古いもののようで、布だか紙だかわからない白い燃えさしが、まるでくもの巣のようにぼろぼろになって燃え残っていたのが印象的な光景であった。昭和46年に起こったという崩落は隧道のこちら側に近く、入って100mほどの所で土砂崩れとなっている。数年前にはこのトンネルを農産物の貯蔵庫に使おうという計画があったと聞くが、果してこの土砂崩れをどうするつもりであったのだろう。何の皮肉もなしにそう尋ねたい気がする。


 山形側坑口の一番のポイントは、明治期に作られた初代栗子隧道の坑口がそっくりそのまま残っていることだ。この隧道は谷の奥というよりも山の斜面と表現したほうが良さそうな場所に作られているが、雪が吹き込みやすい地形になっており、その風雪害を恐れた初代隧道は出口付近を曲げて作られていた。昭和の改修ではそんなことお構いなしとばかりに直線で抜けたため、新旧2つの坑口が並んで残ることになったのである。

 その旧坑口は、現在もまだその口を開けてはいるものの、ポータルに相当する付近が大きく崩落しており、高橋由一の油絵で見るような端正で四角い姿とは似ても似つかぬ有り様になっている。そうしてその落盤を覆い隠すように緑の苔が生えており、何も知らない人にこの坑口だけを見せたら間違いなく洞窟と思うに違いない。それでも、人工物である証左としての鑿の跡が幾筋もの白い筋となって壁面に残っている。


 ちなみに、栗子神社はこの旧坑口の右手の沢に作られていたという。現在はもちろん何の痕跡も残されていない。栗子隧道碑は新旧トンネルの口のあいだに建てられていたもので、その姿を写した写真をのちに見て愕然としたのを覚えている。こんなにキレイで平らな所だったとは、と。


背景(旧道史)福島側考察・参考文献

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