|行政:長野県日義村〜同楢川村標高:1280mm
|1/25000地形図:宮ノ越(高山4号-4)調査:2002年7月


 伊那と木曾とを結ぶ道として元禄年間にできた権兵衛街道。中仙道から枝別れして、姥神峠、権兵衛峠を越えて伊那谷に出る道筋である。我々サイクリストにとっては、神谷の集落の牛行司(牛方衆を統率する親方)だった古畑権兵衛なる人がこの街道を開き、それを記念して名前が冠せられたということよりも、国道361号未開通区間・点線道国道の残る区間であることのほうが有名かも知れぬ。西側から越えることが望ましいのも、あるいは周知の事実かも知れない。

 国道19号の喧騒を離れ、神谷川に沿って北上する361号は2車線の立派な車道である。放物線を描くように谷は曲がっていき、神谷を極大点として、再び南下を始める。実際はここから谷奥までずっと集落が続いており、姥神峠への道が点線道へ変わるのも、この集落の最後の建物を過ぎてからである。なお忘れてならないのが、2002年7月現在、この谷を一杯に使ったループ橋が完成していて、あとは舗装を待つばかりという状況になっていることであろう。そう、トンネルで山を抜いた国道が、谷底のこの道に下りるためのものである。さすがの報告者も、まさかこういう形で国道を通すものとは思っていなかった。

 さて、姥神峠への道。集落内の舗装の急坂を登って行くと、そのまま砂利道の林道(のような道)へとつながっている。この砂利道の先には砂防ダム。そして、点線道である姥神峠道はこの砂防ダムの脇を強引に登り上げることから始まる。30%はあろうかという道であり、報告者のように荷物を積んだまま行くと「3歩進んで2歩滑べる」になってしまうので注意。特に雨後の濡れた地面だと手に負えない、否、足に負えないこと必至である。

 砂防ダムの上に上がればやや緩やかになり、峠下のつづら折れまではよく踏まれた広めの巾の道が続いている。あたり一帯は静かなブナの森、次の難関であるつづら折れまで、せいぜいこの雰囲気を楽しもう。

 

 

 

 

 つづら折れ部分は南西に開けた斜面であり、草木の繁茂でずいぶん壊れている。道普請はいくらかなされているようだが、足元に敷かれた丸太は地に食い込んだものではないため殆ど用を為さない。つづらの中程からはカーブの曲率半径が極めてきつくなり、しかも砂利混じりの土道なので、押すにも担ぐにも難儀させられる。つづら最上部の尾根にお地蔵様がおられ、そこからようやく押していける勾配の緩やかな坂道になる。

 先程までの明るい斜面に対し、峠は薄暗い森の中。その森の片隅にあまたの石碑が建っている。蚕明神、覚正明神、覚永明神食正神摩支利天大日白山不動さんとさまざまな信仰の碑が一同に会する様は壮観である。さながら民間信仰の曼陀羅だ。その中でも中心に据えられているのが御嶽山の石碑。天気が良い時にはこの峠から御嶽が見えるといい、御嶽信仰の揺拝所としても機能していたという。さらには峠から50mほどの山の斜面には水場さえある。この水と持参の弁当で宴を開く村人の姿が見えるようであった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 東への下りはまさに自転車向けの道。乗車率100%と言い切ってしまって大丈夫だろう。道自体がしっかりしていることもあるが、枯れ枝も石もきれいに取り除かれているのが一番有り難い。そうしてその上に、ふかふかの松の枯れ葉が積もっているのだ。集落にかかって家の裏手を行く際の雰囲気もいい。最後は家の隙間から「まろび出てくる」。

参考文献

  •  (銀輪'94、大阪大学サイクリング部、1994)


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