円山隧道・その2


 解散後.ふらふらする頭を肩の上に載せて,自転車を押してゆく.実は───と改まる程特別なことではないのだが───徹夜明けである.小雨がぱらついていて蒸し暑く,雨対策に羽織ったゴアが余計に体温を上げて,意識を混濁させる.疲れた.何だかそれしか出てこない.

 現況調査は十分に行なえたが,結局,竣工年の謎は解けないままだ.そして気になるのは両側とも扁額が取り外されていること.一つは国道沿いに置かれているアレだが,もう一つはどこへ行ったのだろうか.国崎の人々の大半は池田市内に移り住んだと聞いているが,その時に持って行ったりしているのだろうか.あるとすれば,神社の境内,小学校の校庭の片隅,公民館の玄関先・・・.そんなことをとりとめなく考えながら,とうとうその円山隧道扁額まで歩いてきてしまった.

 恨めしげに看板を見つめる.ペンキの下から錆が浮いてきて,書かれていたであろう文字をペンキもろとも剥ぎ落としている.わずかに残った白地,よく見てみると少しは読めるようだ.

 右隅には「版」の一字.「円山隧道銘版」とか何とか書かれていたのであろう.この看板のタイトルか.中ほど左寄りには「半世紀」の三文字.意味深である.建設より半世紀を経て・・・みたような文言だったに違いない.最後に読めたのは「トンネル□一庫□□」.新しいトンネルが一庫ダム脇に完成して,銘版を移した云々・・・.せいぜいそこまでしか推測できぬ.せめてこの看板を誰が建てたのか解ればいいのだが,それすらも「由来」と一緒に過去のものとなっている.看板の裏側を覗きこんだり四角い脚の四面を眺めてみたりもするが,それ以上の情報を引き出すこと能わず.

 看板の後ろの小山に登ってみる.ここから円山隧道の南口が真正面に見下ろせる.場所としては絶妙だが,看板が何も語ってくれない以上,ただトンネルが水没しているのが見えるというばかりである.ましてや展望台でも何でもない此処に登らねば見えないのなら,気づく人がどれほどいるだろう.

 自転車を起こし,またがって進み出す.さあこれからどうしよう.どこから手を付けたらいいのだろう.設置者が解からなければ問い合わせも出来ぬ.あれこれと考えているうちに,あの看板と同じ形式の看板がどこかに残っていたら,そこから設置者を知ることができるかも知れない,と思った.ごく普通のトタン・鉄枠看板で,左右両辺から角パイプの脚が伸びている,そんな看板だった.そう特徴的なものではないが,例えばあんなふうに,似たようなやつがどこかに立っているかも知れない.

あんなふうに???

 

 

 

 

 

 

 銘版から下流に下ること100m.小さなパーキングになっている.新興住宅地の丸山台へ向かう道との分岐点で,阪急バスの深江バス停もある.そのバス停の裏手にある潅木から,全く同じ型の,錆び切った看板が顔を出していたのである.
 駆け寄る.潅木の塊の一角が切れて,石が覗いている.扁額だった.「誰だこんなところに隠したのは!」臆面もなくそう叫んでしまった報告者であった.

 扁額は国道に面していたそれと全く同じで,右書きで「圓山隧道」と刻まれているだけだ.年号の類はない.もう一つの扁額に竣工年が刻まれていることを淡く期待していただけに,少し落胆した.それでもこうしてパズルのピースが揃ったことには感謝しなければならぬ.まだまだ北摂には自分が気づいていないものが多いようだ.


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一庫ダムの水没隧道

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