行政:滋賀県神崎郡永源寺町〜三重県員弁郡北勢町 標高:770m
  1/25000地形図:竜ヶ岳(名古屋10号-1)調査:2003年7月


■調査 Experiment

 茨川集落跡へ至る長い長い林道は別として,治田峠道とはっきり言える道は,やはり茨川から始まるといっていいだろう.茨川の集落は茶屋川と伊勢谷の落合にある.小さな橋で茶屋川を渡った左手が集落跡,右すれば伊勢谷に沿って治田峠への道━━━と,とりあえずは呼んでおく━━━である.

 報告者が調査した2002年の時点では,ここからやや勾配のきつい車道が伸びていた.狭く急な谷の斜面につけられた,一直線の地道である.谷を挟んで反対側は,これもまた急角度で谷底に落ち込む斜面.露土は砂利混じりの貧弱な土であり,植林された杉の木が,この角度に負けてマッチ棒の如くに倒れ重なっている光景が印象的であった.砂防の目的で作られたと思われる谷底の鉄骨構造物も,この倒れた杉がびっしりと詰まってはみ出している有り様であり,砂防というより杉防とでも形容すべきか,などと思いながら歩を進めた.

 とはいえこの道は,谷底の鉄骨構造物を越えた辺りで終わってしまう.どうやらこの構造物を建設するために作られた作業道のようだ.そして,当然の結果が目の前に現れはじめる.谷を挟んで反対側が異なる地質である筈がない.目の前には無惨に倒れた杉の山があった.そして,そこで途切れる車道.獣道程度のかすかな道が,その杉の下に埋まっている.これを越えて行かなければならない.加えて集落の名前にもなっている通り,茨がびっしりである.レトリックとしても写実としても茨の道である.

 山の斜面を無造作に覆う倒木はなかなか手強い.跨ぎ越せる程度であればいいのだが,腰の高さで道を塞いでいるものは,もう塞いでいるとしか言いようがなく,迂回するために山の斜面を登ったり下ったりせねばならない.その幹から伸びる太くてよくしなる枝も曲者だ.担いだ自転車は邪魔物以外の何者でもなく,ナタで枝刈をしながらじわりじわりと進むが,そのうちどこが道なのかさっぱりわからなくなってしまう.この区間は500mもなかった筈だが,ここを抜けるだけで30分以上かかっている.


 倒れた杉の合間を行ったりきたりして,ようやく道が道として機能している地点に出る.真の治田峠である.同じような斜面だが広葉樹がちらほらと混ざり始め,そのすき間を極めて狭い幅の道が縫っている.報告者の訪れたのは早朝のことであり,朝霧たちこめるこの木々の間から朝日が差し込んで,得も言われぬ光景であった.
 そばの木には赤テープ.赤テープはすぐに谷底へ降りて,川の流れに沿って続いている.ここでピンク色のヒモテープが斜面に向かってオイデオイデをしているが,間違えてもこの斜面を辿ろうとしてはいけない.斜面にはピンク以外にも白や紫等々のヒモテープがあるのだが,これらは皆偽物である.これを辿ると報告者のように道なき斜面で1時間も右往左往しなければならぬ羽目に陥る.注意されたい.

 赤テープが降り着く付近は小さな河原になっている.生きたまま埋もれている杉や川に覆いかぶさるようにして生える木に,流木が引っかかって通せんぼをしているが,斜面を行くよりは遥かに歩きやすい.雨さえ降っていなければ,せせらぎの音を聞きながら快適に歩を進められるだろう.要所要所の木━━━大小さまざま,よく流れなかったなというような細い木の枝にまで━━━に赤テープが巻かれているので,これを見落さないよう.何度か岸に上がったような記憶もあるが,ともかくはこの赤テープを頼りにすればよい.


 川岸を伝うようにして谷を溯上すると,やがて再び真の治田峠道に復帰する.雑草のなかに埋もれているとは言え,正しく登山道と言えるその道は,川沿いに作られた炭焼き竃の跡をつなぐようにして伸びている.四角く囲った石組みが緑に苔蒸し,まるでどこかの家の石垣のようだ.これと似た光景を似たシチュエーションで見た記憶があるのだが,報告者は未だにそれがどこだったかを思い出せずにいる.

 残りの谷底道はほぼ一本調子である.狭く小さな谷にそってずっと溯上していく.この一本調子は正面から小さな谷が割って入ってくるまで破れない.その後からが,また難所である.

 谷の傾斜があがって,周囲の緑が薄くなり,代わりに茶色い枯葉と土,大きな岩が視界を占めるようになるころ,地形図でもはっきりとわかる峠直下の登りに入る.入るはずなのであるがしかし,その道は極めてわかりづらい.ここまでは基本的に谷の左岸を辿ってきたが,ここから先の峠道は右岸に移る.大きな土の斜面にその道があるのだが,そこへいざなってくれるはずのテープは麓に無く,見上げた高さのところにある木に巻かれている.目線を谷底に置いたまま登ってくると,間違いなく見過ごしてしまうだろう.この分岐さえ見つければ,峠までもうすぐだ.
 ちなみにこのテープが巻かれた木に「→治田峠」の看板もあったのだが,登ってくる側とは反対側につけられていたうえ,看板自体が裏返っていて,全く用をなしていなかった(右写真).誰かの陰謀かも知れぬ.また,地形図では左岸を登って行くように道が記されているが,上記のように右岸にそれはある.これも何かの陰謀であろう.

 峠直下の険しいつづら折れは,塹壕状にえぐれた道を落葉が埋めつくしている.傾斜がきつい上にやや岩が多く,自転車を押して行くほどの余裕はない.ただ,この傾斜のおかげで峠まではすぐである.


 峠.かつてのmotivationの方向とは垂直方向,山脈をたどる縦走路ばかりが目立つ峠である.茨川の生命線だったこの峠も,今はその縦走路の一角に過ぎない.



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