行政:滋賀県神崎郡永源寺町〜三重県員弁郡藤原町 標高:1010m
  1/25000地形図:篠立(名古屋9号-2)調査:2002年7月


■調査 Experiment

 茨川の人々の生命線として機能したらしい治田峠に比べ,この白瀬峠の存在感は薄い.確かに道は地形図に記されているが,報告者が調査した2002年の時点では,この茨川から白瀬峠へ向かう破線道はその分岐すら見つけられなかった.合わせて5軒分くらいの小さな集落,その家の跡をつないでいる道はあるものの,そこから先がないのである.

 

 現在は登山基地となっている茨川集落の対岸には,集落の氏神であったろう神社と,そこへ伸びる立派な石段,苔蒸しながらそれを守る狛犬の像.そこへ渡る橋も,もちろんない.さらに川を遡れば,「あんなところに!」と驚くに違いない場所に廃屋が眠っている.そこへ至るための道も,やはり存在しないのである.










 どうやらこれは,道が廃道化してしまったという以上に,もともと「道」がなかったためのようである.ハリマオ氏の研究中にある茨川の古地図では,この道は川を何度も横断しながら登って行くものであったらしく描かれている.茨川集落付近は浅く広い河原のせせらぎとなっており,足が濡れるのを厭わなければ,小砂利の敷詰まったその川を道がわりに溯上していくことが可能だ.茨川の人々も,きっとそうしたに違いないと報告者は思う.

 小さく蛇行しながら,しかし確実に北へ向かって,この川を遡って行く.川がクマを作っている所々に道らしきものが散見されるが,それはすでに道の断片であって,用をなしていない.そうしてその箇所には,必ずといっていいほど炭焼き竃の跡がある.

 川が270°の弧を描いて蛇行する特徴的な地点には,これをショートカットするような形で道筋(旧い川筋?)がある.「→茨川」の看板もあるこのヘアピンを過ぎると,川には大岩が転がりはじめ,瀬の泡立ちも見え出す.ただし淵というほどの深みはなく,どこまでも浅いままだ.川と岸とを行ったり来たりしながら歩を進めること約1時間,川の幅と石が格段に大きくなって,視界が開けたと思った直後,やや唐突に三筋の滝に到着する.


 滝というよりは巨大な壁である.高さ約15m,幅10mほどのその滝が,広くなった谷を垂直に塞いでいる.水量の関係で右端の大きなものだけしか滝になっていなかったが,水量が多ければ確かに三筋になるはずだ.とは言え,それだけの水量になる頃にはここまで来ることすらできないだろう.


 ここからが本番である.まずはこの滝を越えなくてはならない.道はこの滝の左手にある斜面.ロープを使った,斜度70度の準垂直登攀である.ロープはまだいい.これを登った先,ほとんど足場らしい足場の無い水平移動が待っている.5cmでも足を滑べらせれば,この高さだ,滑落して命が死ぬのは明らかである.しかも自転車つきで.そんな登りをした.


 滝の上はさらに岩が大きくなって,困難さはその度合いを高めていく.すぐ上流で斜面が大きく崩れ,下流の川原石の材料補給をしている.この大崩を辿ることで峠のある稜線へ出られるようだが,報告者はよく知らない.この後は常時大きな岩が転がるようになり,かと思うと大きく深い淵も現れるようになって,川を辿ることすら困難になる.

 








 茨川上流は,石灰岩質の岩が多く見られることが特徴といっていいだろう.いわゆる石灰岩ばかりでなく,小石を抱き込んで石灰化した岩も転がっていて,「これがさざれ石といふものか」などと思ってしまう.かと思えばその数十倍はあろうかという巨岩が,しかも3つ,川幅全体を塞いでいたりする.さらには,そんな岩が二つに割れ,その奥で滝を成している箇所もある(写真.報告者は勝手に「割滝」と命名した).後者は特に,その左手斜面を高くへつる以外に越えようがなく,三筋の滝以上に命のBetting rateを下げざるを得なかった.


 結局のところ,ここまでの行程で疲労し切ってしまったこと,茶屋川から峠に入る谷が発見できそうになかったこともあって,報告者はこの方向から越えることを断念している.溯上してたどりつけたのは「割滝」の先にある炭焼き竃跡までであった.帰りに出会った登山家の話によれば,あと10分ほどで峠下だったらしい.

 とはいい乍ら,ここで引き返したことは正解であった.泊地に戻って荷をたたんでいる間に集中的な豪雨に見舞われてしまい,茶屋川は濁流と化してしまったのである.「バケツをひっくり返したような」というよくありがちな形容が,これほどまでに写実的なものだとはその時まで思っていなかった.しかも,これは後に知ったことだが,反対側の坂本谷ではこの豪雨で土石流が生していたようだ.件の登山家も,雨がようやく小降りになった頃に,散々な姿で戻って来たのだった.
 人間万事催翁が馬.あと15分進んでいたら,この報告書も提出できなかったかも知れぬ.



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