白瀬峠(藤原町側〜峠〜真の谷)


 藤原町坂本から坂本谷を溯上し,白瀬峠を越える道として地形図に記されている破線道は,現在はほぼ100%,藤原岳へ登るためだけに存在する.報告者はその坂本谷経由の道を,白瀬峠を越えたいというただそれだけのために登った.
 坂本谷は2002年の7月に土石流が発生し通行止となっている.あまり大声で言えることではないが,その土石流発生のニュウスを知ったのは,字坂本からこの谷を700upした直後のことであった.

 坂本谷が平地に降り着く地点には2重の砂防ダム.下のものは工事が現在進行形であり,それを迂回するための登山道は右岸から2者の中間を抜け,左岸に渡り,すでに完成している上の砂防ダムの側面を鉄製階段で登って行く.この階段を登り切ってからいきなりに道は険しくなる.ほとんど道とは言えないような,急斜面にとってつけたような木の根踏み分け道である.かと思えばすぐに谷底道となってしまい,本当にこの谷の谷底を行くしかできなくなってしまう.しかもその傾斜は,ふもとから見上げたそれそのままなのだ.まずここで,自転車を持って来てしまったことを後悔する.

 一抱えも二抱えもあるような岩がゴロゴロする谷.石灰岩の白が果てしなく上へと続いている.そんな谷を規定する大きな岩には赤ペンキで○印.ココヲユケという,親切心なのか強制命令なのかわからないようなマークがぽつんぽつんとついている.水がないのが幸いだったが,調査の前前日に降った雨の影響で,泥だまりがあちこちに出来ていた.この泥だまりも曲者だ.何も考えずに踏んでしまうと靴裏の目に詰まってしまい,雪だるま式に重くなってしまうのに加え,谷を形作る石灰岩の岩肌を滑りやすい凶器に変えてしまう.
 やがて谷が広くなり,土石流検知センサーと思われるワイヤーの張られた箇所を過ぎる.その上部がいわゆる出合で,泥流は主に左の谷から来ている模様.ありがたいことに○印は右の 谷へと続いている.勾配のきつさは相変わらずだが,この先は時折り左右の森の中へ入っていく箇所が現れ始める.沢道以外の道があることが最初は嬉しかったのだが,森の中には山ヒルが多数生息していることを知って悲鳴をあげる.かといって沢に下りれば,レゴブロックを組み上げたような細かな岩の組み合わせでできた滝(まともな足場がなく当然滑る),つるつる滑るなめらかな岩の滝,時には上流から流されてきて引っかかっている木など,そんなものしかない.しかも梅雨の最中である.不快指数が限りなく100%に近いこの空気の中,水を被ったような汗にまみれながら,ふらふらと登る.


 ひたすら我慢して登っているうち,谷の焦点がやや青く見え始める.20分ほどでまた出合.沢の本流は左へ続くが,道は沢から離れて右手へと続く.ようやく勾配が緩くなり,自転車を「押していける」ようになる.右手の斜面を軽くつづら折れて小ピークへ.針葉樹の森に濃いもやがかかっていた.ここから直接藤原岳へ行くことも,山口のバス停へ下ることもできるそうだ.峠として機能していた頃の峠道は,恐らくこの山口へ直に向かうものであったろう.


 白瀬峠への道はここからちょっとだけ下った後,トラバース気味に山腹を登る.乗れそうで乗れない傾斜と脆い斜面が続く.記憶によれば最後にまた直登があるはずだったのだが,道はトラバース気味のままぐんぐん登っていき,林が薄くなったと思ったらそこが峠であった.


 峠はちょっとした広場の様相を呈している.いわゆる登山道の,塹壕状に越えていくものとは違う.訪れた誰もがここで一服したくなるような,そんな優しげな表情をした峠である.峠にしつらえられた小さな看板には「白船峠」とあり,地形図のいう「白瀬峠」とは異なるものである.この名称は山と高原の地図でも使われており(白瀬峠は括弧書き),たいていのひとは前者を使うようだ.地名に充てられた漢字を詮索するのは不毛に帰するとは承知しながらも,藤原町に「白瀬」という字名があること,戦国時代にこの地に「白瀬城」が築かれていること,付近の山地を越える峠がすべて東側の地名をもとに名付けられ文化の方向とでも言うべきものが東向きであることが推測されることなどから「白瀬峠」が正しいように思える.これが何故「白船」になったのか,素朴に尋ねてみたい気がする.恐らくは「しらせ(の)とうげ」→「しらせンとーげ」→「しらせんとーげ」のような転化があったのであろう.


 峠から茶屋川(真の谷)へ下るルートは,この峠を源頭とする谷をたどるものと,尾根筋を伝ってやや北に回り込みながら下るものとがある.地形図に記された道は前者であり,報告者も前者を選んだが,こちらには道らしき道は全くと言っていいほど存在しない.そのかわり比較的開けた谷であるため見通しが良く,また谷底には数十cmの厚さで落葉が敷き詰まっているため,どこをどう辿っても楽に下ることが可能だ.時おり深く踏み抜けるのに注意しさえすれば,めったに味わうことのできない落葉のクッションの感触を十二分に楽しむことができる.


 峠下の谷と真の谷との合流地点(川下から撮影).写真右手の岸にある木に「→白船峠」の看板があるものの,これもやはり木の裏側にあって,こちら側からはわからないように仕組まれている.ここまでなっているともう仕組まれているとしか考えられない.ただでさえこの谷は,他の枝谷とさほど差がある訳でもない普通の谷の呈で合流してくるため,下流側から登って来て正しくこの谷を登り峠に至るのは非常に困難であろうと思われる.

 あとは茨川まで,先に述べた「割滝」,三筋の滝ほかの難所を越えていくだけである.
 そう,「だけ」.


治田峠考察

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