旧池田隧道(県道〜神通側坑口)


■調査 Experimetal

 地形図によれば,池田隧道の付近を越える道は3本.西から順に煙突マークの側を越える二重線道,隧道を越える県道62号線,その東にあるのは報告者も一度通っている志野峠・松峠を越える林道だ.この他にそれらしき道は見られない.そして,「近代土木遺産2000選」によれば隧道の延長は80m.これから先ず連想されたのが,隧道真上の細い尾根であった.隧道北側の志野峠林道との分岐から,やはり鋭く細い谷が南へ貫入していて,その先に薄い峯がある.隧道以前の峰越え道を想像した時,北から登ってきたならば最もわかりやすく越えやすい位置といえる.その峰越え道の延長として,同じ谷に旧池田隧道が築かれた可能性が高いと考えられた.念のためにwebで調べると,やはり志野峠の林道から分岐する形らしかったし,結果から先に言えばその通りであった.

 大阪府側の最寄り駅はJR熊取駅だ.駅前から<62へは少し迷わされる.駅前を右に行って,突き当たりを左に折れれば「→犬鳴山」の看板がある.これに従って家の軒先をかすめていく2車線道をたどれば,丘になった住宅地を経て,左手から大きな2車線道が合流してくる.今度は逆に立派すぎて国道かと思ってしまうが,バス停の路線図と京大原子炉でそれが正しい道とわかる.
 道は緩やかに登って行き,研究所の先でピーク.いったん大きく下ってT字路,左に取ればまたひとしきり登って,さっきの2倍近くガクっと下る.アップダウンの激しい道だ.そうして路側帯のない2車線幅となって,あとは池田隧道まで一本道である.
 鋭く切れ込んだ谷の側面を緩やかに登っていく.交通量は割合多い方で自転車の走るスペース的余裕はあまりないが,緩急を折り混ぜた道で変化を楽しみながら登ることができる.民居は主に谷の右岸,川の流れが削り残した台地に水田も開かれている.犬鳴温泉から先はさらに道が狭くなって,ひとしきり登ったところにある砕石場の中央で和歌山県入り.

 和歌山県側には旧道の破片がいくつもある.1軒宿の神通温泉横にはゲートつきの舗装旧道も.一度陸橋でまたいで,左手から回り込むようにして合流してくる.この合流点の少し下手には地蔵堂.また分岐と地蔵堂の間には昭和三十二年竣工の池田橋もある.
 この他の旧道は地道であって,金網により頑丈にゲーティングされている.紀州炭の工場を過ぎ,「→中畑」の青看板を見て「ああ懐かしい」と思っていたらもう目の前が池田隧道であった.

 竣工は昭和49年6月.扁額には和歌山県知事・大橋正雄の名前がある.出口の先で大きく右に曲がっていることもあって,正面から撮りにくい隧道だ(撮る価値がそもそもないかも知れないが).
 

 志野峠への分岐は,トンネルへ向かう県道が最後に大きく右に折れるところにさりげなくある.小さな橋と桧に囲まれた小さな空間を見落とさないよう.報告者が訪れた時には治山工事の看板が目印になった.

 予想の通り,林道に入って50mもいかないうちに,右手から道が入ってくる.しかしそれは真新しい轍のついた小さなコンクリート橋であって,あまり旧道らしくない.ひょっとしたらと思ったら,分岐のところで言っていた砂防ダム工事がこの谷で行なわれているのだった.

 左手に小さな沢.その小ささに似合うようなミニ・砂防ダムが2つ.その上部ではさらに大々的なそれの工事をしていた.道はその工事で寸断されている.幸い日曜日ということもあって誰もいず,作業用の踏み分け道を利用してクリア.

 その奥で古い道を発見するが,それは沢の脇を申し訳なさそうに登って行く登山道であった.この先にトンネルがあろうとは思われないような狭さであり道の体である.
 工事が現在進行形の地点から50mほどで軽く左に折れる.見通す限りではまだ登山道だ.左から小さな沢が割ってきて道を寸断し,その道も,道以外も羊歯で覆われている.それらを桧の濃緑が覆う.全く緑一色の光景である.
 沢は谷の左岸に沿って流れ下っており,幅1m×深さ50cm位の溝を生み出している.脇に寄り添う道は今にも崩れそうな鋭いエッジを描いている.谷そのものは非常に狭くて回廊のようだ.その底をすべて道にしたら車道幅になりそうだが,沢があるためにその想像も難い.しかしながら登るにつれて,踏み分け道の脇に広いスペースが残っていることに気付く.表面を覆う羊歯を取り除いたなら,旧車道の面影が見えて来ないこともない.
 谷の奥に見えていた藪に至る.谷はここで右と左に分かれる.地形なりの左手は沢.まだ随分と奥がありそうだ.右手は・・・と振り向けば,そこに茶色い半円のアーチがあった.




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