旧池田隧道(考察・参考文献)


■考察 Discussion

 この隧道に関する大元の資料は,合併して打田町になる以前の池田村の村史である.「打田町の文化財」「打田町史」はそれを平易に書き下したもので内容はほぼ同じ.これらによって隧道の歴史を振り返ると,おおよそ次のようになる.

 かつて池田村から大阪方面に出るためには,北勢田から大池のほとりを経て松峠・志野峠を越えるか,東山田から薦坂峠と呼ばれる峠を越えるかしなければならなかった.いずれも山道であって,牛の背に二俵の米俵を積んでいくのがせいぜいだったようだ.その不便を解消するため,県会議員・山田万三郎,後に初代池田村長となる池田豊三郎らの働きかけで,池田隧道は作られたという.着工明治17年,2年後の19年に完成.いずれの資料にも月日までは記されていない.なお池田村誌によれば,トンネルが作られた峰はかつて幸左ヱ門峠と呼ばれ,谷間を登る道があったようだ.
 和歌山県下で最初の洋式煉瓦作りのトンネル.設計監督にあたった高橋市右衛門は,明治初年に紀伊藩の留学生として陸奥宗光らとともに渡米した人物であって,その時に購入したトランジット(測量機)が測量・設計に用いられた.煉瓦は和歌山から煉瓦工を呼び寄せて,田中村窪の宇田氏のもとで焼き,牛の背によって運んだという.その代金は一個一銭七厘,運賃三厘とあるがこれは1個につきであろうと思われる.一銭七厘とはピンと来ない金額だが,人夫の日給が一日七銭三厘〜八銭五厘(煉瓦工は九銭)とあるから,なかなかの貴重品であったことがうかがえる.他に1樽1円のトルコセメント465樽,その1/3の石灰,200石の坑木材料と,のべ人夫30900人を導入して,2万円の総工費で完成した.内径六尺五寸,高さ七尺五寸,延長四十六間半.それぞれメートルに直すと約2m,約2.3m,約80mである.
 隧道の開通によって,肩引きの荷車や牛車で大量の米を運ぶことができるようになり,大阪との交通が飛躍的に便利になった.また,薪や木材の搬出にも大きな役割を果たした.その後,明治40年に県の支弁道路(県道粉河泉佐野線)に編入され,戦後になるまでこの道は使われている.
 ただし,それが現在の池田隧道に移るまでの間には1クッションがある.「調査」の冒頭で触れた一番西の道,薦坂峠を経由する林道薦坂線がそれだ.南北をつなぐ唯一の道であった池田隧道だが,肱曲がりの鋭角カーブと狭い道幅は,自動車やオート三輪にとってはなはだ不便であった───と村誌は表現する.ということはあの狭い隧道を,まかりなりにも車が通ったということだ───ため,その代替林道として昭和22年に建設が決まった.県会議員の金岡平一らが中心となって進められた事業であり,当時林道敷設費は計画者負担が原則だったが,重要な路線であることから特別に池田村から2割の補助がなされたという.県の林務課,農林省の認定も受け,昭和23年からの4カ年継続事業として着工.計画通り,昭和26年の3月にそれは完成している.佐川池のほとりから県道を分かれ,薦坂峠を経て粉河辻(現隧道の北側)で合流する.幅員四米,平均勾配11分の1の道は,後に重行線(薦坂線)と呼ばれた.
 打田町のほうでもこの隧道の歴史的価値を認め,昭和50年に最初の文化財に指定している.しかし今日の隧道は,調査の項で述べた通りの廃道であって,かろうじて通れた神通側も砂防ダムによって塞がれてしまう可能性が高い.このことについて打田町に問い合わせたところ,治山工事についてはよく把握していないという.また南側は,町の有志が草刈りをする程度で,やはり整備して活用しようという計画はないらしい.それもまたありかも知れない.

 隧道北口に見られた「煉瓦側壁分離帯」について.資料からはこの空間がある理由を見出せなかったが,ポータル部分と洞内の煉瓦積みとを分ける何らかの必然性があったのかも知れない.例えば隧道勾配がこの辺りで変わるため,煉瓦を組むことができなかったとか(見た限りではそういう感じでもないのだが),こちら側の地質が軟らかいため沈下することを想定してわざとつなげなかったとか.南口の近くにも,煉瓦の入れ子構造が途切れて面でつながっている箇所があった.あるいは鐘ヶ坂隧道に見られた中央部のドーム状の構造とも関連する,煉瓦隧道特有の理由が背後にあるのかも知れない.

■参考文献 References

  • 池田村誌,和歌山県那賀郡池田村公民館,昭和35年(1960)
  • 打田町史第三巻・通史編,打田町,昭和61年(1986)
  • 打田町の文化財,打田町教育委員会,昭和63年(1988)
  • 日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2000選、日本土木学会、平成13年(2001)

■謝辞 Acknowledgement

 問い合わせを受けて下さった打田町公民館の方に感謝(町の文化財の管理はこちらが担当しておられる).


 

 

総覧へ戻る