観音峠(丹波町側〜峠)


■調査 Experimetal

 2004年の調査は西側から行なった.現国道は異常気象時の通行止用のゲートがあるあたり(水準点207.8周辺)から山側の斜面を大きく削って登って行く.この手前で大字新水戸の最奥の集落へ向かう一本の細道.幅1.8mほどの一車線舗装で,感じからするとこれが旧道のようだ.軒の端をかすめて左右に軽くうねりながら登って行くと,最後の民家のところで石灯籠.背後には整地されたスペースもあり,叢になるに任されているが,あるいは神社か御堂のようなものがあったのかも知れぬ.国道に向かう急坂を登れば,隧道前のドライブインがもう目の前だ.

 国道を横断してドライブインに至る.'97年の時はこのドライブインと隧道との間の小尾根からまろび出て来た.その林には今,桧が育ち薄く笹が茂っている.左を見ればドライブインの店の方の居住空間であろう庭に向かって,一本の車道幅が伸びている.これもやや旧道の匂いがする.が,居住空間になっているのなら入って行くこともできまい.そうして下生えの笹を分け入っていく.

 

 

 

 

 

 

 かつて下った巻き道は,林の中に明確な段として残っていた.幅1mほどのなかなか踏まれた道である.記憶のほどには綺麗ではなかったが,辿って行くとこの尾根をゆったりとした傾斜で巻いて登っている.ただしトンネル前の切通しに面した部分は,その工事で切り取られたのであろう,直接つながってはいない.1mほど斜面を直登して上の段に至らなければならない.

 

 桧の林のわずかな空間を縫って進む.2〜3段登ったところで,ドライブインの裏手の庭が見える地点に至る.と,そこに広い空間が現れた.明らかに車道だが枯れた竹が折り重なっていて,かなりの期間使われていないものだ.スペースの脇にはコンクリートの枠囲みや,建物があったと思われる整地された一角もある.記憶にない光景にぞわぞわしながら,右手方向に入って行った報告者を待っていたのは,苔と羊歯に覆われた巨大な切通しであった.


 

 

 

 

 地形図からも忘れられた道,隧道の名前によってしか人の知らない観音峠.それが目の前にあった.

 

 

 考えてみれば観音峠隧道は昭和10年完成.それまでにこの交通の要衝に,荷馬車が通れる道が無かった訳がない.記憶のなかの観音峠は,峰の一角をゆるやかに越える山道であって,勿論荷車など通れそうなものではなかった.目の前にある切通しは幅3m近く,石垣も見られるがその大半は崩れている.太い木の根に絡まれたものもある.そしてその全てが緑に覆われている.

 

 北側の切通しの上には車道以前の峠道と思われる山道の断片.今いる旧道とは3mほどの高低差があり,従来の地形をそれだけ堀下げたものと思える.切通しの中央付近には,電信柱か看板支柱だったのだろう,丸太を2本針金で縛ったものが朽ちている.石組とこの柱と,切通しの端にあったコンクリート柱の根元だけが人工物臭を放っていて,あとはすべて自然の領域である.
 道筋をつなげると,旧道は恐らくさっきの庭のあたりを通っていたのだろう.現国道の完成にともなってその一部が民居となり,道としての機能を失った.これだけの道幅がありながら地形図に記載されていないのもそのせいだと思われる.

 これが旧観音峠に違い無い.では,前回峠だと思った場所は何だったのだろう.それが気になって,カメラだけを手に山へ分け入る.


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