観音峠(峠〜分水嶺尾根〜園部町 側)


 切通しを抜け,広場になっているところを右手に回り込むと,小さな谷底を行く道らしきものが見つかった.途中で大きく崩れていたがその上にもそれは続く.見落とさないよう注意深く辿って行くが,峰を目の前にそれは消えた.道だったのか,それとも自然地形なのか判断しかねるが,ともかく峰の上に出る.
 峰の上にははっきりした踏み分け.尾根を辿って切通しのほうへ向かえば,この尾根から派生する形で道らしきものがいくつか分岐している.比較的掘れ込んだ道だが,どれも同じような雰囲気なのがかえって道らしくない.峠とはいえ居住区からさほど離れていないことから,山仕事や薪・山菜取りのための道が無数にあったのかも知れない,と思う.
 ポキポキとたやすく折れる細い枯木が覆う尾根.その尾根の凸凹をなぞっていくと,やがて見覚えのある光景に出会う.尾根筋の道が左手に落ちて行き,その落ちて行く変曲点にコンクリート柱の残骸が転がっている.そうだ.ここが峠だと思っていたところだ.改めて見れば峠々したものではなくて,傾いた尾根の肩を斜めに降りて行くだけもの.これを左右に越えるものではない.しかしこのコンクリート塊という人工物の存在を見て,峠ではないかと思ったのだ.丹波町のマークが入った石柱もここにだけ建っている.

 左手に降りる道を辿れば,すぐに桧の林となって,先ほどのような道ライクな段差をいくつも見るようになる.一筋の道が通っているというよりも,どこをどう辿っても降りられるといった感じで,事実報告者は下ってきた道をもうロストしてしまった.やはり踏み込まれた道というより,山仕事のための近道といった役割のものだったようだ.ここから旧車道の切通しまで近いようでやや離れている.道の取り方によっては見過ごすだろう.

 

 改めて切通しを抜けて園部側へ.石垣の残骸や羊歯を踏み越え抜けたところでコンクリートブロックによる段差.この先から普通の地道車道となる.すぐに竹藪.竹の縦線のすき間から,観音峠隧道の東口が見えている.この竹藪にも幅1mほどの古道が通っており,現国道に向かって緩やかに下っている.全てトレースした訳ではないが,角度から見て車道とつながる頃には金網で塞がっているだろう.

 隧道のある谷とは別の開けた谷に出たところで舗装へ.足下には工事車両を置くスペースやプレハブ小屋が見える.右にくるっと回って,現国道と垂直に交わる形で合流.

 地形図によれば,隧道出口のところに卍マークがあり,それを経由して麓に向かう点線道がある.地元の方に伺えばこれが古い道筋だったという.「観音峠」の由来となった観音堂が,卍マークの正体である.

 国道からそこへ行くための道は小さな小さな小路しかない.隧道前の自販機などがあるスペースの端からそれは下っている.山の斜面の畑仕事へ向かうかのような感覚で国道を離れれば,すぐ目の前に国道護岸を背にした御堂.現国道の工事にともなって道が消滅し,この御堂のあるスペースだけが国道崖下に忘れ去られている恰好だ.

 瓦葺の御堂は木鼻の細工も欄間の彫り物も立派で,その存在感は現代社会の忘却曲線を超越している.小さいながらも境内があって「照月先生碑」だとか「護国明神」などと彫られた石碑がつつましく並んでいるのも興趣をそそられる.表に山水を引いた手水鉢があったり,電灯線が引かれたりしているところを見ても,地元の人達の手で護られていることがよくわかるというものだ.「安全のためにロウソクの火を」云々という注意書きから,上木崎の老人会の方々が手入れをしておられることを知った.

 さて,一般に薦められる旧道探索はここまでである.


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