観音峠(峠〜分水嶺尾根〜園部町 側)
![]() 左手に降りる道を辿れば,すぐに桧の林となって,先ほどのような道ライクな段差をいくつも見るようになる.一筋の道が通っているというよりも,どこをどう辿っても降りられるといった感じで,事実報告者は下ってきた道をもうロストしてしまった.やはり踏み込まれた道というより,山仕事のための近道といった役割のものだったようだ.ここから旧車道の切通しまで近いようでやや離れている.道の取り方によっては見過ごすだろう.
改めて切通しを抜けて園部側へ.石垣の残骸や羊歯を踏み越え抜けたところでコンクリートブロックによる段差.この先から普通の地道車道となる.すぐに竹藪.竹の縦線のすき間から,観音峠隧道の東口が見えている.この竹藪にも幅1mほどの古道が通っており,現国道に向かって緩やかに下っている.全てトレースした訳ではないが,角度から見て車道とつながる頃には金網で塞がっているだろう.
地形図によれば,隧道出口のところに卍マークがあり,それを経由して麓に向かう点線道がある.地元の方に伺えばこれが古い道筋だったという.「観音峠」の由来となった観音堂が,卍マークの正体である.
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国道からそこへ行くための道は小さな小さな小路しかない.隧道前の自販機などがあるスペースの端からそれは下っている.山の斜面の畑仕事へ向かうかのような感覚で国道を離れれば,すぐ目の前に国道護岸を背にした御堂.現国道の工事にともなって道が消滅し,この御堂のあるスペースだけが国道崖下に忘れ去られている恰好だ.
瓦葺の御堂は木鼻の細工も欄間の彫り物も立派で,その存在感は現代社会の忘却曲線を超越している.小さいながらも境内があって「照月先生碑」だとか「護国明神」などと彫られた石碑がつつましく並んでいるのも興趣をそそられる.表に山水を引いた手水鉢があったり,電灯線が引かれたりしているところを見ても,地元の人達の手で護られていることがよくわかるというものだ.「安全のためにロウソクの火を」云々という注意書きから,上木崎の老人会の方々が手入れをしておられることを知った. |
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