キリズシのトンネル(三光村〜隧道)


■調査 Experiment

※2008追記:直近ではtunnel webのtaiheiさんが行かれている.深水側の道は迷いやすいだろうと思っていたが,その通りの迷い方をされていて,ここで中途半端に書いてしまったことをお詫びしたい.この易迷箇所の詳細や,報告者が撮れなかった東側坑口の写真なども紹介されているので,行こうと思われる方は拙ページよりもtaiheiさんの報告を参照されたい.また氏の協力を得てダイジェスト版となる記事を作成し「日本の廃道」第17号に掲載している.


 キリズシのトンネルがあるとされる三光村は,現在は中津市と合併して,字名に名を留めるだけとなっている.しかし,合併以前のこの村のことしか知らない 報告者にとっては今でも一つの村である.古くから城下町として栄えた中津に南面し,ここから天領の代官所があった日田方面,渓谷美で名高い耶馬渓方面への 分岐点に当たる.特に耶馬渓方面へは大正2年に鉄道が敷かれたこともあり,鉄道関連の遺構も残る街である.
 ただし,キリズシのトンネルがある上深水(かみふこうず)は中心部の繁華からはずいぶんと遠ざかったところにある.旧村役場から南東方向へ向かう県道の 奥にあって,それより奥はただ蒼き山があるばかり.こんな所に明治草々期の遺構が残されていようとは微塵も思えない場所である.

 報告者は国道212号から上深水に向かった.県道の沿線は底の浅い広い谷が続く.左右に田畑が広がるその底を真っ二つに割って抜けて行く2車線舗装.視界は広い.どこかで見たことがあるような光景だと思ったが,確か,猪苗代湖のほとりから鶏峠へ向かった,あの道に似ている.

 深秣郵便局の辺りで道は軽く折れて,ほぼ南北方向の道となる.道はどこまでも緩やかなままだ.これといったハイライトもないまま,国道から30分 ほどで上深水に着.先に入手していた資料によれば,道は字久保から山へ入ることになっていた.ちょうど立ち止まったバス停の停留所名で,自分がいま久保に いることを知る.

 そばで洗濯物を干していた方を捕まえ,聞いてみる.最初は清水トンネルと間違われてしまったが,キリズシのトンネルは確かにここから登るとのこと.目の前にかかる橋が,その入口であった.

「あん麓ン家のおいちゃんがよう知っちょるけん,聞いちみない」

 それは有り難い.何事にも先達はあらまほしきものなり.その言葉に従って,山懐のお宅を訪ねてみた.そしてその家の老夫婦は,突然の訪問にも関わらず,丁寧に道を教えてくださったのだった.

 「もう年やけん,山に入らんようになったがのー」と言いつつ,報告者のために案内までして下さったのだった.感謝の言葉もない.

 教えて貰った道筋を整理するとこうだ.橋を渡って左折し,田と川に沿って進む.舗装はすぐに右に折れて,この方の家へ向かうが,キリズシのトンネルへは 直進だ(左写真).半ば薮になった地道を入ると,その奥で右に折れて,山へ向かう.竹薮の中には大きな廃屋も眠っている.

 道はこの先で,あっさりと登山道幅になる.隣の沢によって削られてしまったためだ.また道自体も雨水によってえぐられ,岩や木の根も露わになっている. だが,かつてこの道は郵便馬車も通ったほど道幅があった,と伺った.数十年前には車道として整備する話も持ち上がったというほどだ.

 

 道の勾配はそれほどでもない.確かに,馬車道の勾配である.ただ道が荒れているため,なかなか歩を進められない.特に今回,報告者の自転車には特殊装備セット詰め合わせの入ったサイドバッグがついている.右手にバッグ,左肩に自転車を担いで,ふうふう言いながら登る.

 登り始めて100mほどで正念場(左写真).よく踏まれたきれいな登山道が続く右手ではなくて,一見すると川跡のような荒れた左手の道が正解である.間違えれば墓場につながる.左すれば小さなヘアピンを経て,谷の高いところをゆるゆると登っていく峠道になる.

 

 


 森を抜けて周囲が明るくなる.ここから先,道は消滅気味である.以前は2段ほどのつづらで登っていたであろう斜面が,のっぺりとした1枚の坂になってし まっている.そこを直登しなければならない.この斜面を登り切り,傾斜が緩くなったところで迎えてくたキリズシのトンネルは,

 

 

 

だった.


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