キリズシのトンネル(キリズシ)


 最後に,もう一つ訪ねたい場所がある.キリズシのトンネルの「キリズシ」である.そもそもキリズシというのは隧道周辺の小字名であって,その名前の由来となった切り通しがあるという.つまりはキリトーシが鈍ってキリズシになった訳だ.

 隧道西口から10mほど下ると,向かって左手の斜面に旧峠道があることを,先ほどの方に教わっていた.現場は不明瞭な林だが,ちょっと薮をかき分けると,確かにそれらしき道があった.大きな折り返しで登っている.上のほうでは道が崩れかかり,つい先頃までは倒木も酷かったようだが,三光村の教育委員会が調査された時に整備したとのこと.道の脇にはチェーンソーで切り刻まれた丸太も転がっている.お陰でさほど苦労せず,5〜10分ほどでキリズシに着く.

 これが、キリズシ.礫岩の壁が幅1m、長さ10m、高さ6m近くに渡って削られている.肌が粗くてまるで自然の地形のようにも見えるが,紛れもない人知の跡である.
 きっとこのキリズシがあったからこそ、村の人々はそれ以上のものを求めて,トンネルを穿つことを考えたのであろう.トンネルの完成によって忘れ去られたキリズシ.そしてそのトンネルも,竣工から135年を経た今となっては遺構でしかない.こんな山中にあっても、人の生きた証は積み重ねられてゆくのだ.切通しの底から空を見上げながら,そんなことを思った.


 

 切り通しを抜けた右手は小さな広場になっている.そこに埋もれて傾いているのは南無阿弥陀仏と彫られた碑.やはりこれも,この切通しの完成を記念するもので,資料によれば天保十年(1839)に建てられたものという.キリズシのトンネルができる30年ほど前のことだ.


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