九人ヶ塔隧道(一人ヶ塔峠・西側坑口)


 先にもう一つの気になるものを調べにゆく.一人ヶ塔隧道である.fuku氏の公開する隧道リストでは,この近辺にもう一つ,明治40年竣工の一人ヶ塔隧道があったことになっている.事前調査でその隧道が取り壊されて久しいことを聞いていたものの,その正確な位置が判らなかったたこともあり,念のために調査した.

※2008年注:以下全面書き直し.当初一人ヶ峠は九人ヶ峠の東にあるものと思い込んでいた.実際は九人ヶ峠隧道の西,現在は切り通しになっている場所が一人ヶ峠であり隧道があった場所である.この辺りのことはtaihei氏にご指摘を受けそのままになっていた.大変失礼をした.

 …というわけで,一人ヶ塔峠だと思い込んだまま向かったのは,字血野の台地を横切っていった場所である.写真は台地の東端,現県道の切り通しである.

 この北側に短い旧道がある.現県道の切り通しを迂回する形でグルッと抜けていく.先程九人ヶ塔峠の西側で登ってきたのと同じような,古びた2車線幅のアスファルトである.この道は両側に民家を抱えており,旧県道であったことがわかる.

 旧県道のピークは上記写真の場所にあって,そこからやや下ったところから両側がそば立った土壁になる.左手にくくっと曲がり,小山を回り込んで現県道切り通しの東に出る(左写真).現県道の対岸には旧道の続き.現道とクロスした後の旧道は,谷沿いを100mほど走って,再び県道と合流していた(右下写真).



 戻る.九人ヶ塔トンネルを潜り直して西側坑口へ.災害復旧の工事区間から,左手に上がってゆくコンクリート道がある.まだ真新しい,最近つけられたものだ.工事に関連してつけられたものらしく,立ち入りがためらわれたので,そばの作業員氏に了承を取ってゆく.「ああ,あのすぐ向こうにありますよ」

 この坂道を登って行った先だとばかり思っていたが,西口はすぐ目の前───というよりも目の下───にあった.旧道を塞ぐ恰好でこの作業道が作られていたのだ.傍らに自転車を放り投げ,砂利の斜面を転がり降りる.

 西口坑口.造りは全く同じである.扁額はやはり草木に覆われて見えない.こちらにはロープをかけられそうな潅木も,かけてぶら下る時間もないように見受けられた.大人しく坑口撮影だけに留めておく.

 ポータルに使われている凝灰岩は,鑿の跡こそ残れ,平滑な"面"として仕上げられている(帯石笠石のみ凹凸のあるルスチカ風).鳥居橋や県内各地の石橋の胸壁・橋脚に見るような自然石風仕上げとは異なるものである.先の頁で報告者は「石工が関与したに違いない」と書いたが,このように全く同じ造りという訳ではなく,あくまでも当て推量でしかない.石橋と隧道築造とに,どのような関係があったのか,裏付けとなる資料が欲しいところである.


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