旧馬神隧道(多久市〜隧道)


■調査 Experiment

 多久駅から隧道を目指す.駅前の細い路地を西に進めば商店街.最初に出会う十字路を左に折れれば,馬神隧道へ向かう県道24号だ.北田橋を渡って,右手に民家がまばらに並ぶ岡を見やりながら進む.左手は広く開けた田園地帯である.
 長崎自動車道の高架を潜ってなお進めば,多久聖廟のふもとに拓けた小邑に出る.多久聖廟は江戸時代の領主・多久家によって造られた孔子廟.市民病院などの諸施設もここに集まっていて,駅からここまでの鄙びた印象がかえってその繁栄ぶりを際立たせる.
 25号・多久若木線とT字に交わってさらに西進.すぐに再び長崎自動車道と出会うが,その高架を潜る直前で,左に折れなければならない.あとは現道の馬神トンネルまで一本道である.

 一本道とは云うものの,脇には旧県道のアスファルト舗装も残っている.ゴルフ場への分岐を過ぎたあたりに 北方方面に向かって右手にそれはある.旧道はすぐに現道と合流するが,2車線舗装のアスファルトであって,以前から重要視されていた路線だったことが伺える.この旧道を抜けるとすぐに馬神トンネルが見えてくる.
 

 

 

 

 とりあえず,旧道倶樂部は新トンネルに用がない.トンネル手前の分岐を左に折れる.やや広くなった旧車道の奥で高さ制限のバーをくぐり、50mも進めば、一世代前の馬神隧道に至る.非常に背の高いポータルである.
 昭和3年の竣工と聞くが、それ程時代を感じさせないのは何故だろう.表面の石張りも銘板も新しく感じられる.あるいは後年の補修によるものなのかも知れない.隧道は頑丈に塞がれ中央に扉が設けられているが、そのドアの把手は無惨に壊されていて,今も,今後も,開く見込みはない.

 さて、とりあえずはここまで来た.真の目的である旧馬神隧道は,一体どこにあるのだろう.旧池田隧道のときのような特徴的な谷があれば解りやすいのだが,付近は似たようななだらかな山裾である.屏風というほどではないにせよ,横に巡らされた峰に突き当たる恰好だ.多久聖廟のふもとからここまでの道は概して素直な道の付け方であって,この谷以外の谷に路線があったとも思われない.となれば,やはりこの隧道周辺のどこかにあるのだろう.
 先程のゲートを潜り直して,広場状になった場所に出る.その広場の東側に,アスファルト舗装の細道が登っている.地形図を見ればその先に果樹園のマーク.とりあえずはこの道を採ってみよう.

 ヘアピンで折り返し,峠方向とは逆向きに登る.すぐに小尾根の上に出て,再び南向きへ.左手のなだらかな丘陵地帯にはみかん畑が広がっている.そのみかん畑の縁をなぞるように進めば,道はアスファルト舗装からコンクリート敷きへと変わり,左に折れていく.

 このカーブの先端に,カーブを折れずに直進する道があった.杉の林に分け入って行くそれはしっかり踏まれた道ではないように見受けられたが,幅は2〜2.5mほどで,所々に割れ瓦が打ち捨てられている.ふっと旧道の匂いがする.

 

 

 

 入ってゆくと,右手の杉の木立の向こうに馬神隧道への道が見下ろせた,ほぼ並行に走っているらしい.その先でスパイラル的に鋭く曲がり登って,隧道の真上に至り,その先へと続いている.行く手の谷は小さく鋭くて,すぐそこに峠があるような感じがするが,そんな谷が曲がりくねってどこまでも続いている.ますます旧道の匂いがする.

 空が大きく開け,広場のような場所に出たが,かわりに地面には杉が根ごと倒れている.それ以外の雑草潅木もなかなかの密度だ.荷物つきて来てしまった報告者は,いったん自転車を置いてゆくことにする.だがそれは,引き返すためではない.間違いなく,この先に隧道があるはずだ.

 空に向けて扇型に根を張った杉の間をかき分けていく.広がった地形はだんだんと狭くなっていき,足元も道幅が露わになってくる.ただしそれは左右の斜面からの崩落で大きく波打っていて,当時そのままという訳ではなさそうだ.右手の山肌が岨だってきて,垂直の岩崖になり,大きな段差となった道蹟を登り越えれば.

 

 

 

 

Bingo!

 

 

 



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