旧馬神隧道(隧道内部〜北方側)


 

 

 水の深さは目視の通りであった.最深部でもBVD状態─パンツの中までびしょびしょだ─になることを免れ得る深さだ.ただ足元は20cm近く滞積した泥であり,足を取られて転倒でもしたら,パンツどころでは済まない.念のために小分けにしたおかげで,報告者は4往復する羽目になった.しまいには足指から股にかけての感触が麻痺してしまった.
 そんなことはどうでも良く.隧道内部の煉瓦はやはり損傷がなく美しく遺っている.漏水している箇所もわずかであって,煉瓦隧道草創期の竣工ながら高い技術力に裏打ちされていることが伺える.

 出口の開口部に至る.多久側よりもさらに高い土壁がはだかっていて,まるで隧道全体を覆い隠すかのようだ.全ての荷を渡し終え,外に出てみると,それもそのはず,隧道前を林道が横切っていたのだった.これはもう完全に「見捨てられ」ているとしか取れない.
 林道から見下ろすポータルは暗渠か何かのようだ.切り立った岩崖の下,煉瓦アーチの一部が申し訳程度に覗いている.上部の岩崖の縦の面がたいへん高く切り立っていて,そこに題額だとか摩崖仏だとかが彫られていてもおかしくないような雰囲気だが,いくら見つめてもそんなものがあろうはずもない.昔は地面から10m以上もの高さだったのだから.

 改めて煉瓦アーチを見てみる.多久側では気づかなかったが,アーチの端面はげた歯構造だ.しかもよく見れば,外層から内層に向かって手前にせり出している3段階のげた歯である(最先端の煉瓦の殆んどは欠けてしまっているが).世の中にげた歯構造というものがあることは話に聞いていたが,ここまで手の込んだものまであろうとは.これだけでも,この隧道の希少性が増すというものだ.

 荷を組み付けて再出発.隧道前の林道は10m程下流で鋭く折れ,かつての峠道があったと思われる谷に沿って下る.はじめはコンクリート敷きの急坂だが,すぐにみかんの木のある広場に出て,目の前に北方市街の展望が広がる.足元にはひっきりなしに通る車のエンジン音.斜面の東側に沿って下れば,一軒の民家の前を通ってアスファルト舗装へ.この道は2度ヘアピンして現県道へと合流していく.北方町の側から見れば,県道がトンネルにさしかかる直前の左カーブの先端である.地形図には実線道でこの合流が記されているが,民家より上の林道は記されていないようだ.

 

 

 

 


 折角なので現トンネルと馬神隧道の南口にも寄って行こう.こちら側は新旧の坑口が隣同士に並んでいる.古い県道は馬神隧道からまっすぐ延びていたようで,新道がそれとクロスする形になっている.現トンネルは近頃よく見られるようになった装飾画つきのポータル.多久聖廟が描かれている.
 報告者が参考書の一つとしている『見方土木』─建物の見方・しらべ方〜近代土木遺産の保存と活用〜─でも触れられていたが,こうした近代的なトンネルが,何十年,何百年後に「文化財」として認められる日が来るだろうか.著者はきっぱり「否」としているが,報告者にはまだわからない.旧馬神隧道の煉瓦造りでさえ,お荷物扱いされ忘れられていた時期がある.要はその土地の人々が,どこまで想い入れを抱くかであろうと思う.この真新しいトンネルにだって,その可能性はない訳ではない.あるいは旧道倶樂部のような物好きが,朽ちてペンキの剥げかかった装飾画のトンネルを,好んで徘徊するようになるやも知れぬ.


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