水 | 分 | 行政:大分県九重町〜湯布院町 | 標高:610m | |
峠 | ■ | | | 1/25000地形図:湯平(大分9号-4) | 調査:2004年8月他 |
■背景 Background
九州を訪れるツーリストにはおなじみの峠と思う.別府と阿蘇一の宮をつなぐ県道11号・やまなみハイウェイの峠であり、かつ福岡と大分とを結ぶ国道210号線の最高所である.報告者にとっては、自分の故郷と都会との間にそびえていた大きな障壁として、殊更に特別な存在である. 大和朝廷時代〜筑後川水系の文化と大分川水系のそれとをつないだ道の歴史は古い.豊後風土記によれば、太宰府から豊後国国府へ向かう官道があり、豊後国内は次のようなルートをとっていた.括弧内は比定されている現在の地名である. 石井(日田市五和)―荒田(玖珠町四日市?)―由布(湯布院町岳本)―高坂(大分市六坊)
寛政年間田能村竹田の記した『豊後国史』には、玖珠郡内を通る道として7つの路線が記されている.現在の幹線道である水分峠越えの道はまだなく、日出生台付近を経由する道がメインルートであった.
これを現在の地名で辿ると、玖珠町森から東へ、現在の陸上自衛隊日出生台演習場内にあった今宿を経て湯布院へ向かう.玖珠町森にあった小藩・久留島藩の参勤交代の道もこれであり、大岩扇山と小岩扇山の間にあった八丁坂を経て今宿に向かった.府内城道は湯布院中心部から大分市へ向かうが、久留島藩は日出港から海路を取っていたため、次の「速見郡日出城路」を通っている.
明治初年明治六年制定の河港道路修筑規則によって、各道路は一等〜三等に分けられた.のちの国道、県道、里道に相当するもので、玖珠郡内には両筑往還、豊前往還の2つの二等道路があった.玖珠〜湯布院間はやはり日出生台経由のルートがメインであったらしく、後の水分峠になる(はずの)大分道は三等の指定である.
今宿から湯布院の盆地に下り、現在の別府阿蘇道路(県道11号)が通る狭霧台を経て別府へ抜ける.西は永山布政所路とほぼ同じと思われる.(大石峠は集落の名前.現国道212号にも大石峠集落があり、何らかの関連があるかも知れない)
明治28年〜大正15年速見郡川西(現在の湯布院町川西)から野上村小平谷に出て、中村・粟野・大隈・塚脇・中山田・戸畑・平川・藪を経て日田に向かう車道が明治28年に完成、佐賀県道と呼ばれた(このうち中村から平川までの区間は明治21年に完成済).川西〜野上村小平谷間は現在の水分峠に相当すると思われるが、当時は川西峠という名前であったようだ.その後、川西峠区間は大正元年から四年にかけて改修され、福岡県道という名前になり、のちの国道210号線となる. この川西峠が「水分峠」になったようだが、郡史は明確に答えてくれない.恐らくやまなみハイウェイの開通(昭和39年10月)に合わせたものであろうと推測される.本報告書で報告するのはこの時に作られた水分峠である. |