|行政:京都府宇治田原町標高:420m
|1/25000地形図:朝宮(京都及大阪3号‐2)調査:2005年3月


■背景 Background

 奥山田新道.新道とは言い乍ら,報告者がその存在を知った時点で既に廃道であった.

 この道は京都の山間部に明治45年から大正にかけて作られたもの.現在の地名で云うと,宇治田原町の中心部と最奥の字奥山田を結ぶものであった.奥山田の5つの村が共同で出資し,ほぼ自分たちの力だけで作り上げたという.
 何より興味深いのは,その道すがらに3本の隧道が掘られていることである.しかもそれらは,煉瓦作りのポータルを持ち,山間部にしては非常に豪華なものだという(そのうちの1本である「第三号隧道」が近代土木遺産リストに───初版以降の追加で───登録されている).旧道倶樂部にとってこれほど蠱惑的な旧道はない.

 陸地測量部1:50,000図・京都東南部(昭和7年部分修正測図)

 現在の地形図には国道の2本の隧道しか見当たらないが,昭和7年部分修正測図の陸測図を見ると,確かに3本描かれている.西から順に一号,二号,三号であるらしく,一号は現在の大福隧道付近に,二,三号は奥山田隧道のそばにあることになる.両者を重ね合わせてみたが,ひずみが大き過ぎて佐和山隧道のようにはいかなかった.残された道はもう,現地調査しかない.

 奥山田新道第三号隧道は,どれだけ豪華なものなのか.そして残りの2隧道は現存するのか.確信半分,賭け半分の心持ちで,奥山田に向かった.


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