奥山田新道(アプローチ〜第一隧道)
■調査 Experiment かつては四方を山に囲まれ,全くの陸の孤島状態だったという奥山田.確かに今でも,奥山田へ向かう道は遠く険しい.京都府宇治田原町の一角であり国道307号でつながってはいるものの,中心部からはいくつもの山を越えて行かねばならない.一方地形的な観点から見ると,瀬田川から北に延びる細長い谷の最上流部が奥山田で,水系的には滋賀県に含まれていてもおかしくない位置である.川沿いに道を作ることが困難だった昔はこのルートに車道が作られることはなかったようだが,今では大福川に沿う道が作られている.報告者は滋賀県の石山駅を出発してこの道をたどることにした.
大石までの国道422号は省略.県道782号から大福へ向かう分岐には看板の類は一切ない.手前にある喫茶店・エデンが唯一の目印である.エデンの西かあ,などと詰まらぬことを考えながら左折すれば,よく均された1車線の地道.しっかり締まった路面がよく使われていることを物語っている.周囲は深い杉の森.静かな森の空気を楽しみながら進む. ![]()
後半で少し荒れ気味になるものの,概して乗りやすい道である.鋭く切れ込んだ谷にはりついて,うねうねと登ってゆく.岩肌を大きく削って道とした所が多く,かなり大がかりな道普譜であったことが伺える.こうでもしなければ車道がつけられなかったのだから,道以前はよほどの難所であったのだろうと思う.立ちはだかるような岩と森の斜面がどこまでも続き,風景が次の変化を見せる───左手の谷が急に開けて,造成工事中の斜面になる───ところで地道は終わり.沢沿いのじめじめした舗装道となる.
この舗装を登り切ったところが,字大福の谷である.視界がパッと開け,杉の代わりに茶畑が目の前に広がる.きれいに切り揃えられた茶畑の段々が行儀よく並んでいる.畑の間を縫ってゆくと,久しぶりの車の往き交い.国道307号線だ.
それで,肝心の第一号隧道はどこだろう.振り返って先程の旧道の続きを想像してみるが,最後の合流点より先が見当たらない.完全に国道の下敷になってしまったのだろうか.
大福隧道のある谷は,向かって左手に広くなっている.この左手のどこかにあるのではと推測し,ナタを手に薮へ突入する.トンネル周辺は笹薮で,道跡らしくもない凸凹が広がっている.右往左往すること十数分.諦めかけていたとろで,ようやくそれを発見した.道らしくない凸凹のその向こう,トンネルとほぼ並行する位置であった.
奥山田新道第一号隧道.意外なことに,コンクリートのポータルであった.大福隧道に似た横スリットのコンクリート.少し拍子抜けである.
![]() ポータル右手の壁には竣工時のものと思われるプレートが填められていた.「明治四十五年 三月竣工」とある.ポータルに掲げられている題額も,恐らく竣工時のものであろう.「刻露清秀」の一文と落款が2つ,刻まれているだけである.
坑道の側面には石製のプレート.「京都府土木部 田辺工営所長 □□(岡田?)正敏 工事主任 西本英夫 請負者 株式会社小川組 昭和三十二年三月 補修」とあり,この補修を示すもののようだ.ということは,補修後は15年ちょっとしか利用されなかったということか.
ひとまず戻って反対側の様子を探る.大福隧道を抜けてすぐ左手に掘り割りがあり,降りてみればそれが旧峠道であった.隧道もすぐそこで,その前はゴミの山と水溜りだ,ぬかるみを踏み抜きながら接近し,中を覗いてみる.深さはそれほどでもないが,奥に何やらうず高く積まれている.しばらく目を凝らしてみて,それが古タイヤの山であることがわかった.何だかなあ,という光景である.
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