奥山田新道(第二隧道)


 

 

 

 続いて第二隧道の調査へ.国道を東すれば,大杉谷を経て奥山田隧道に至る.谷に人家はなく,一面の水田である.右岸に移ってしばらく登れば,左手に開けた広場を見て,奥山田隧道着.昭和36年竣工.

 陸測図を見る限り,第二隧道はもう一つ北の谷に出て,すぐさま第三隧道に接続して奥山田隧道東口付近に出るようになっている.先程の広場の奥が怪しいと踏んで,引き返す.
 広場は何かの資材置場のよう.奥に小さな窪みのような小谷がある.分け入っていくと.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たまげたね.



 

 奥山田新道第二隧道.この作り込みは何と表現したらいいのだろう.2段になった帯石,デンティル付きの笠石に,ピラスターまで総煉瓦作りのポータル,煉瓦はイギリス積み基本で組まれているがアーチ環周辺はやや乱れているようだ.アーチ環は3重で,中央の要石だけがぴかぴかに磨き上げられた御影石になっている.町と村とをつなぐために作られた道の隧道とは思えない豪華さである.旧池田隧道も総煉瓦作りでデンティル付きだったが,それを上回る装飾だ.

 

 そんな豪華さに圧倒され,浮かれる脳裏の片隅で,さっきからアーチの根元が気になっている.きれいさっぱり崩れ落ちており,ポータル全体が宙ぶらりんだ.近付いて断面をのぞき込んでみるが,目地のコンクリートが残っており,元からこうではなかったことがわかる───当然だが.そして,これでもかという位に詰められた古タイヤ.奥はいったいどうなっているのか.もちろんそれを確認するためには,このポータルを潜らなければならぬ.

 

 

 

 

 一息入れて身支度する.いよいよ内部へ侵入.滴る山水をくぐってタイヤの山を登ると目の高さが天井のアーチだ.坑道のアーチは思った程損傷を受けていず,宙ぶらりんではあるがしっかり固定されているようだ.よくあるポータル裏の亀裂もない.アーチの端から見る煉瓦巻は2層となっている.

 

 しかし,ポータル部分の堅牢さに引き替え,内部はどうだ.ここから反対側の坑口の明かりが見えているが,そこまで見渡す限りの古タイヤの海.しかもその上を,素掘りの坑道から落下した砂岩が覆っている.特に入口から10mほどが酷い.煉瓦アーチから見上げると,薄く剥離した砂岩が今にも落ちようとしている.写真を撮ろうと三脚を伸ばしている最中にも,ガシャリ.ふっと田舎のショッピングセンターに置かれていた登山ゲームを思い出した───落石を避ける場面のランプが切れていて,落ちてくる岩も主人公たる登山家も見えず,必ずそこでゲームオーバーになる───.どうでもいいことだが.

 

 

 

 落石区間はタイヤの穴に砂が詰まっているため,歩くのはさほど困難ではない.上を見上げながら,そろり,そろり,残りの地層は別の種類の砂岩.一枚岩のような感じでなめらかな肌をしている.古タイヤの上の堆積もない.ただしそのお蔭で,グラグラし,下手をすれば踏み抜きそうになるタイヤの上を,中腰になって進まねばならぬ.鼻をつく古タイヤ臭に胸を悪くしつつ,心臓も悪くしつつ.進む.それにしてもどこからこんな大量の古タイヤを持ち込んだのか.

 

 

 

 途中で3度ほど頭を打ったが,それ以外は何事もなく,無事抜けられた.こちらのアーチはかなり崩壊が進んでいる.抜けて振り返ったポータルはコンクリート漬け.心外だ.内部には煉瓦巻が残されており,厚さにして30cmほど塗り立てた恰好になっているらしい.要石だけが取り外されてポータル部につけられていたのがとても場違いな感じがしたが,施工した人物や利用していた人々にとっては,この要石が隧道の象徴であったのかも知れぬ.そうとでも考えなければ,この無茶な補修には納得が行かない.




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