奥山田新道(第三隧道〜開通記念碑)


 第二号隧道の北側は別の谷だ.わずかな区間だけがこちらにあって,第三隧道で再び峰を越え直すことになる.現国道のように1本で抜けても良かったのではないか,とも思うが,地質や土地買収の関係があったのであろう.道は荒れていて,大きく波打った地面に軽自動車がひっくり返っていたりもするが,当時の幅をよく保っている.すぐに第三隧道北口へ.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「近代土木遺産リスト」にあるように,こちら側は大きく崩壊している.坑道のアーチと左側のピラスター付近しか残っていず,一本立った煉瓦の柱の頂上から木が生えている光景がシュールだ.ただし崩壊した煉瓦はきれいに片付けられており,何事もなかったかのように南側へ向かうことができる.

 

 

 第三隧道の坑道は総じて固い砂岩の塊である.壁には一面にノミの跡.抜ければ,ここでようやく全うなポータルに出会うことができた.

 


 

 

 

 

 坑口の幅は実測3.3m,高さは3.8mといったところ.アーチ環が二重になっているのを除けば,構造や意匠は第二隧道西口と全く同じだ.
 坑口の上には題額.「幽谷」で始まる4文字だったが,愚かなことに控え忘れた.右手には第一隧道と同じ「明治四十五年三月竣工」という石版.左手には工事を指揮した青木市太郎の名が彫られたものが掲げられている.遠く横浜から招かれ隧道建設に当たった彼のこと.一号から三号までが全てこのようなポータルであった頃のこと.このポータルを見ていると,さまざまな思いに耽ってしまう.

 隧道南口から20mほどで国道.一〜三号のポータルの中で最もアプローチしやすい位置になる.わざわざ苦労をする側から来てしまった報告者は苦笑せざるを得なかった.脇には奥山田区が運営するという炭焼き釜.この日も誰かが作業をしていた.

 

 

 来た道を戻って,改めて奥山田隧道から奥山田に入り直す.隧道から少しきつめの勾配で下って行くと,奥山田の谷に出たところで大きく右にカーブ.このカーブの先端(天満宮の境内脇になる)に,奥山田新道の開通を記念する石碑が建っている.表には「新道開通碑 明治四十二年起工 大正二年竣成」,裏には寄付金者の名前がずらりと並び,建之の大正十年一月という日付が彫られているが,それ以上のことは何も語ってくれない.


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